正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

空たちまち開く  (第192回)

前回に引き続き、正岡子規の随筆「車上所見」の感想文です。改めて、青空文庫さんのサイトをご案内します。このうち前回は、豆腐料理「笹の雪」の横から野に出たところまででした。ちなみに、子規庵から私が歩いて、五分もかからないご近所です。
車上所見

前回と重なりますが、博物好きの子規はまず、山茶花(さざんか)を見つけて喜ぶ。このあたりは、今も山茶花や椿(つばき)が上野公園や谷中霊園、民家の生垣などに多く植えられています。花が少ない寒い季節には、ありがたい風景です。子規が見たのは赤い山茶花。先日は近所で白も見ました。その家の窓の下に、檜木笠も掛けてある。子規は旅行や出歩くのが好きな男だった。この病はつらい。

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空たちまち開くとあります。今は高層建築も増えて、遠くは見えない。いまマンションの中層階に住んでいる拙宅から、ようやく富士山や筑波山の頭のあたりが見える程度です。さて、子規が発見したのは「村々の木立遠近につらなりて、右には千住の煙突四つ五つ黒き煙をみなぎらし、左には谷中飛鳥の岡つづきに天王寺の塔そびえたり」。

現在の行政区分でいうと、この辺りは子規庵がある台東区根岸ではなくて、荒川区の日暮里近辺です。彼が見た千住の煙突は、ご承知の方も多いと思いますが「千住のお化け煙突」で名高い。これはもう今はありません。当時は、隅田川を渡って北側の足立区にありました。同区のサイトにも紹介があります。
足立区/おばけ煙突



少し補足します。東京スカイツリーの設計をなさった方の話では、うろ覚えですが、見る角度によってスカイツリーの形状が違って見えるような工夫をしており(塔がねじれたような外見をしている)、この着想はお化け煙突の名の謂れの一つである、見る角度によって数が違うという説から得たのだと聞きました。また、ジブリのアニメ映画「風立ちぬ」で主人公が隅田川を船でさかのぼる短い場面があり、行く先にお化け煙突が見えます。

この足立区と荒川区ではさまれた形になっている隅田川の屈折点は、松尾芭蕉「おくのほそ道」の出発点であり、また、江戸時代に最初にこの川に架けられた千住大橋があるところで(改修されて今も車道と歩道があります)、東京湾が満潮のときは、このあたりまで隅田川は逆流してきます。先日、清澄白河あたりで観ていたら、隅田川が逆行している時間帯でした。


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秋もうららの隅田川  


この動きをうまく利用すれば、順行のときは千住から河口に、逆行のときは河口から千住に、いずれも「川下り」で船が移動できます。また船舶が主要な輸送手段であった明治時代、これを利用して隅田川の両岸には、多くの工場が建てられていたそうです。水運に加えて、水を大量に使う産業(お化け煙突の発電所も、きっとそうでしょう)にとって立地条件が良好でした。

当時の荒川区の人口は約40万人、現在は約20万人です。いかに盛んな工業地帯であったかが分かります。その後は更に大きな工場と大量の水と巨大な輸送船を必要とする時代が来て、首都圏の工業地帯は京葉や京浜などの海岸沿いが中心となりました。今では、千住の辺りは中小零細企業と民家が立ち並んでいる景色が広がっています。


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子規庵のへちま遠景


次に子規が左手に見た「谷中飛鳥の岡つづきに天王寺の塔」について。谷中飛鳥の岡続きというのは、前々回の話題にした王子街道が並行して走っている背の低い山並みです。南東から北西にかけて地名で追うと、まず動物園のある上野の丘、いずれ話題にしますが子規が何度も訪れている諏方神社のある諏方台と谷中の寺々。

いまは西日暮里の駅をはさんで反対側に開成学園がある道灌山、子規の墓がある田端の高台(「坂の上の雲」の最終章で真之が歩いた街道)、そのあたりで荒川区から北区に入り、地続きで飛鳥山に到ります。王子権現や石神井川はそのすぐ近く。飛鳥山道灌山と並んで花見の名所です。秋山の信さんが、陸軍士官学校の受験のとき、小論文のお題に出て、山の名とは知らず「飛ぶ鳥が遊ぶ」と読み下し、なぜか合格したところです。


続いて文中に出てくる天王寺は、今も日暮里駅のそばにありますが、お寺の塔は火災で焼失し、今は交番の隣に基礎だけが残って、小さな公園のようになっています。これがすぐ近くに住んでいた幸田露伴の「五重塔」のモデルになった。荒川区の方に再建はしないのですかと聞いたことがあります。いわく、よく訊かれますが、残念ながら公金を特定の宗教には使えないのですとのことでした。それはそうだ。

これに続く雲の描写は、東京湾の上空によく浮かんでいる積雲のことを書いているのだと思います。いまも時々見えますので、子規も同じようなものを眺めていたのだなあと、そのたびに思い起こします。煙突も五重塔も大工場もなくなりましたが、川と雲と花は健在。


(つづく)



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清澄白河隅田川夜景  (2019年11月15日撮影)







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