奥浜牛の故郷、粟国島の人々は出稼ぎに出る人が多くて進取の気性に富んでおり、彼もその一人であったと作者は書く。まだ船主になるほど裕福ではなく借り船だったというから、農業でいうと小作農のようなものか。当時の彼は那覇に住み、山原船に雑貨を積んで…
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