前回の続き。玄界灘で水雷と砲弾の攻撃を受けた佐渡丸は、悲運の僚船常陸丸が沈んだが、自らは沈没を免れて連合艦隊に復帰した。最後の大仕事が1905年の5月下旬、日本海海戦の哨戒任務。 この前衛艦隊を指揮したのは、主に第三艦隊司令長官の片岡七郎中将。…
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