正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

English Gentleman  (第173回)

手元にイアン・ハミルトン著「思ひ出の日露戦争」(雄山閣)という本がある。これを読んでみたいなと思ったきっかけは、「坂の上の雲」文庫本第八巻にある最後の章、「雨の坂」に出てくる敗将ロジェストウェンスキーの描写に関連して、いわば唐突に出てくる…

「旅順入城式」  (第172回)

掲題の「旅順入城式」は、内田百輭の短編小説であり、また、本作を含む短編集(岩波書店)の名でもある。1934年に出版された。東郷平八郎元帥が亡くなった年だ。ときどき仕事で市ヶ谷や麹町に行くのだが、先日、昼休みに東郷元帥記念公園まで散歩しました。…

厩の人影  (第171回)

米国人の従軍記者、スタンレー・ウォシュバンの名は、「坂の上の雲」文庫本第五巻の「二〇三高地」に出てくる。その箇所に、一戸兵衛が語ったウォシュバンの思い出話が収録されている。その文章は、私の手元にあるS・ウォシュバン著「乃木大将と日本人」(講…

乃木神社  (第170回)

乃木神社に行ってまいりました。私は乃木信者ではないが、日本の神社は別の宗教だろうと無宗教だろうと、出入り自由だ。そのはずだ。断られたことがない。パキスタンのモスクで、ムスリム以外はお断りと言われて、建物の中に入れてもらえなかったのとは大違…

竹矢来  (第169回)

写真は近所の竹矢来です。わざわざ説明用の看板まで立てているのは、このような昔ながらの建築物なども見せている公共施設だからだ。 この「やらい」というのは、「あっちに追いやる、近寄らせない」というような意味で、この程度の低さでも、人や犬が自宅の…

土城子  (第168回)

文庫本第五巻「二〇三高地」では、児玉源太郎の一行が旅順の地に到着するはずの12月1日、乃木希典は早朝に「わしは前線視察に出かける。児玉とは土城址附近で落ち合うことになるだろう」と軍司令部に言い残して出かけてしまった。 この言い置きが不鮮明で、…

柳樹房  (第167回)

この日、1904年の12月1日は、くりかえすと児玉や田中の一行は忙しい。第三軍司令部にとっては、災厄に近い日になる。文庫本第五巻の章「二〇三高地」によると、汽車は柳樹房の近くに停まった。ただし、駅がなく、係員が踏み台を置いた。児玉たちが着いたのは…

葡萄酒と洋食  (第166回)

葡萄酒に洋食。いずれも殆ど死語になりにけり。これらを美味しく頂けるはずだった旅順鉄道の汽車の中、児玉源太郎と共に第三軍の戦場へと向かう参謀田中国重少佐は、11月30日に行われているはずの二〇三高地攻撃の結果を気にしながらの旅となった。もっと気…

弥助砲  (第165回)

大山巌と児玉源太郎が、児玉の二回目の旅順行きについて相談する場面は、先に執筆された「殉死」と、「坂の上の雲」二〇三高地の章とでは趣が異なる。「殉死」では、乃木を罷免してはどうかという大本営からの勧告を、大山は拒否した。だが、さてどうしよう…

第二回旅順行  (第164回)

我が家のAI「アレクサ」によると、司馬遼太郎は「日本の小説家、ノンフィクション・ライター、評論家」だそうだ。上手くまとめたな。「坂の上の雲」は、「あとがき 一」で作者自身が、小説と呼んでいる。確かに、松山や大学が舞台になっている最初のうちは、…

伝令の死  (第163回)

前回引用したスタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人」には、なかなか他の資料ではお目に係れそうもない、乃木将軍の日々の言動や表情などが記録されている。部下である日本の軍人が、そういう軍司令官の姿を書き残すのは難しいだろう。 ウォシュバンに…

旭川の雪  (第162回)

第二回総攻撃の損害は、日本軍が戦死者1,912名、戦傷者2,728名、ロシア軍が戦死者616名、戦傷者3,837名。兵も物資も、全く補給がない旅順ロシア軍は、「深刻な状況に追い込まれており、司令部内では真剣に講和も検討されていた」。以上、平塚柾緒「旅順攻囲…

志賀先生  (第161回)

以前も引用した覚えがあるが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」のテーマについて、文庫本第六巻「黒溝台」の章で次のように書いている。 この稿は戦闘描写をするのが目的ではなく、新興国家時代の日本人のある種の能力もしくはある種の精神の状態について、そぞろ…

作戦変更  (第160回)

前回の続きです。以下は、「坂の上の雲」の「二〇三高地」の章および平塚柾緒「旅順攻囲戦」を参考に、時系列で、この慌ただしい1904年11月下旬の動きをみる。ちなみに、北の戦場では10月下旬に沙河の会戦が終わり、翌年1月に黒溝台の戦闘が始まる時期にあた…

白襷隊  (第159回)

旅順の話題に戻る。ロシアの旅順要塞が落ちたのは正月だった。今から113年前。ずいぶん昔のことのように感じる。一方で、今年は政府が騒いでいるように、大政奉還150周年の年にあたり、また、先述のように「坂の上の雲」の企画は、明治百周年を記念してのも…

謹賀新年  (第158回)

明けましておめでとうございます。右は元旦に遠くから撮影したアオサギの写真です。 本年は明治150年ではなく、平成30年ですので、どうぞお間違いなく。前にも書いたかもしれないが、明治時代は、大学の経済学部のゼミで習ったことによると、計算の仕方によ…

第二回が失敗してから  (第157回)

ここでときどき引用・参照している平塚柾緒「旅順攻囲戦」という本は、正確にいうと「写真が記録した日露戦争 旅順包囲戦」(学研M文庫)という題で、とても重宝している。学研だけあって説明が平易で分かりやすく、地図や写真が豊富で、また「坂の上の雲」…

東を征せよ  (第156回)

ウラジオストクという言葉の意味は、文庫本第四巻「旅順総攻撃」によると、「東を征せよ」という意味だそうだ。なんだか神武天皇みたいだな。その地を拠点とするロシア帝国の「太平洋艦隊」は、司馬さんの解釈では、「ロシアの中国・朝鮮侵略のための威圧用…

「旅順攻囲軍」 (第155回)

「旅順攻囲軍」は書籍の名。著者は志賀重昂。「坂の上の雲」文庫本第五巻の「二〇三高地」に、「観戦員」として出てくる。本来は地理学者で、ただしこの時期は日露戦争の従軍記者として旅順にいた。彼の従軍記事のうち、旅順攻囲戦の箇所を商業出版したのが…

第二回総攻撃の始まり  (第154回)

第二回の旅順総攻撃は、1904年9月下旬の前半と、同年10月下旬の後半にわかれる。第一回総攻撃から3週間ほどの間が空いたのは、一因として「正攻法」に変えたためだろう。すなわち、要塞近くまで坑道を掘り、歩兵がそこまで前進できるようにする。また、いき…

もはや災害  (第153回)

1904年の9月から10月にかけて行われた第二回旅順総攻撃は、先述のとおり、数え方によっては二回目と三回目とも呼べなくはない。中断して再開したからだ。 その理由は砲弾が尽きたからだと、どこかで読んだ覚えがあるのだが、損害が酷く中断せざるを得なかっ…

誰が言い出したのか  (第152回)

「坂の上の雲」文庫本第六巻の「黄塵」の章に、乃木司令官・伊地知参謀長の人事が決まり、1904年7月に大連に上陸した児玉が乃木と会う段階で、「伊地知が乃木を不幸にした」とまで作者は言い切り、その例として次の一節が続く。たぶん、これが本作における二…

海抜203メートル  (第151回)

かねがね不思議に思ってきたのですが、なぜ二〇三高地には「盤竜山」のような固有名詞が無く、標高だけの表示になっていたのかという、この人生に関係はなさそうですが、気になる点です。以下、例によって目の醒めるような結論は出ませんが、調べた記録は残…

東鶏冠山と盤竜山  (第150回)

旅順攻囲戦の激戦地というと、すっかり有名になっている二〇三高地を思い浮かべる人が多いと推察しますが、私にとっては、東鶏冠山という名を見かけただけで気が滅入るほど、ここでの戦闘もすさまじかったという印象がある。 その理由の一つは、櫻井忠温著「…

旅順総攻撃の始まり  (第149回)

旅順要塞の攻囲戦が始まったのは、1904年8月19日の乃木軍司令官による総攻撃命令からだ。この日付は、以前に触れたように大本営側の意向が働いており、記者会見まで準備していたらしいのだが、ともかく日本軍全体が急いでいる。 バルチック艦隊の来襲は、早…

ちょっと脱線  (第148回)

旅順の記事を一休みして、追加報告のようなもの。先日、用事で仙台に参りました。少し余りの時間ができたので、午後遅く仙台城址に行った。仙台は何回か行ったことがあるが、ここは名高い伊達政宗公の像があるのに初めてだ。 丘の頂上にそれはある。日曜日と…

明治150年  (第147回)

感想文がこれから旅順総攻撃の段階に入るにあたり、その前に、読書の際に念頭に置いておきたいことを、できるだけ整理したい。なぜ、司馬遼太郎はこれほどまでに乃木・伊地知に厳しいのだろうか。 司馬さんは着目した人物、好みの人物について何度でも書き、…

高崎山  (第146回)

当初は固有名詞がなく、二〇三高地と同様に海抜を示す「一六四高地」と呼ばれていた小さな山は、「高崎の歩兵第十五連隊がおびただしい出血の挙句に奪取した」(「殉死」)ため、高崎山と名付けられた。 前回も引用した「坂の上の雲」文庫本第五巻の巻末地図…

海軍陸戦重砲隊  (第145回)

今回と次回は、1904年8月19日から始まる第一回の旅順総攻撃の前哨戦に関する話題。今回は、前回の途中で触れた黒井悌次郎中佐が率いる海軍陸戦重砲隊についてです。 旅順攻囲戦は、司馬遼太郎も主に陸軍の資料を基に書いたはずで、このためか「坂の上の雲」…

砲弾が足りない  (第144回)

戦車や戦闘機が登場するのは、約十年後の第一次世界大戦のときで、また、日露戦争時に信さんが注文した「機関砲」という名で「坂の上の雲」にも出てくる機関銃が、本格的に使われ始めたのも一次大戦のときだそうだ。 日露戦争の火器は、大砲、小銃、地雷、機…