正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

子規庵  (第2回)

 小説「坂の上の雲」の感想文も早く書きたいなと思いつつ、せっかく第1回で子規庵の写真を掲げたので、その紹介をしてからにしようと思う。子規庵は東京都台東区根岸にある。住所その他の情報は、子規庵の外壁にあるこの看板をご覧ください。





 鉄道で来る場合は、JR山手線または京浜東北線鶯谷駅が一番近い。ただし、注意点が二つある。この辺の道は狭く入り組んでいるし曲がりくねっており、さらに子規庵は表通りからかなり入ったところにある。歩きの方は詳しい地図を入手されてからいらっしゃっるほうがよい。

 もうひとつは近辺に、なぜか2〜3時間の休憩利用も可能という不思議なホテルが蝟集していることをお伝えしておかなければならない。そういうものは見るのも嫌だとか、ウロウロしているのを見られると困るというご事情がある人は、徒歩数分だけ遠いが隣の日暮里駅から行くことをお勧めする。


 もっとも子規庵があるあたりは殆ど民家だし、鶯横丁は狭い道なので車も殆ど走らず、いつ行ってもここが都会かと思うほどに静かだ。念のため、私はその休憩宿泊施設を利用するために歩くのではなく、その向こうの鶯谷駅から電車に乗るのが目的である。ときどき利用料金の変化などを観測するだけである。

 このあたりの道は「坂の上の雲」に、水はけが悪くて雨のあとなど泥んこだと何箇所かに書いてあったように思う。ここいら一帯は隅田川水系の沖積平野なので、ほとんど平らな土地なのだ。でも今は舗装されているし、雨水排水の設備もしっかりしているので水吐けは良い。


 私の記憶に間違いがなければ、子規の一家はこの根岸で一回、近くに引っ越しており、今の子規庵は最後の家の場所だったはずだ。余りに近くていつでも行けると思うからか、実はまだ1回しか子規庵に行ったことがない。明るく開放的な家である。子規のように。

 私が行ったときは、ちょうとヘチマの実が成っていた。庭の風景は子規が詳しく絵や説明を残しているので、いつの日か触れることもあるだろう。隣家には陸羯南が住んでいた。子規の生涯で一番の恩人であろう。司馬さんも、明治の人物像を描くのが目的だったのならば、もっと陸羯南のことを書かないかんぞね。



(この稿おわり)



鶯横丁  (2014年7月8日撮影)




  椎の実を拾ひに来るや隣の子    子規




































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