正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

善性寺と音無川  (第9回)

 芋坂のあたりを通りかかった秋山真之は「雨の坂」によると、空腹をいやすべく「藤の木茶屋」に立ち寄っている。江戸時代から続くこの老舗の茶屋は、今も「羽二重団子」として現役なのであるが、この話題は次回の楽しみにするとして、今日は近辺に寄り道する。ご近所案内です。

 台東区荒川区には寺社が多い。特にお寺はあちこちにあって、一つには江戸に遷って以降の徳川家が帰依した天台宗の総本山、上野の寛永寺菩提寺としてすぐ近くにあり、周囲にその末寺が何十とある。もう一つの理由は、明暦の大火のあとで江戸の大区画整理が行われた際、都市計画の一環として神田あたりにあったお寺の多くを谷中方面に移設したらしい。


 日暮里のあたりはその昔、日蓮さんが滞在なすったという言い伝えもあって、そのためかどうか知らないが日蓮宗のお寺も多い。先回、話題にした「五重塔」の天王寺は最初のうち日蓮宗だったが、宗教や政治のいざこざのようなものがあったらしく、江戸時代の途中から天台宗に宗旨替えさせられたらしい。

 善性寺と書いて「ぜんしょうじ」と読む。室町時代に建立された日蓮宗のお寺で、六代将軍徳川家宣の生母が葬られて以降、将軍家ゆかりのお寺となった。かつては芋坂からつながる道を使えば、同じ宗派の天王寺とほぼ最短距離で交通できた。今もこのお寺の朝のお勤めのポクポクという音を聞くことがある。私の実家は禅宗だが、こういう音はのどかで良い(先方は至って真面目なんだろうけれど)。


 現在の芋坂は先日の写真のように、坂を下りたところで道にぶつかって行き止まりになっている。理由はその正面に善性寺があるからで、ほとんど同じ時期にお寺と坂道ができたのだろう。このお寺は見事に神仏習合されており、いまも隼人稲荷神社という小柄だが勇ましい名の神社が併設されている。

 その管理は善性寺がしているようで、若い僧が掃除や施錠をしたりお経をあげたりしているのを時々見かける。目が合うと「おはようございます」などと丁寧な挨拶をなさる。






 この善性寺は桜が美しい。上野や谷中の桜並木は染井吉野が多いのだが、ここの桜は多種多様であり、近所で一番先に咲く枝垂桜や、最後に咲く八重まで見ごたえ十分である。境内には名物の大黒様が座っておられる(暗くてお顔が見づらいが上左の写真)。横綱双葉山のお墓もあるが墓石は本名が刻んであり、横に小さく四股名が彫ってある。

 今は昔、社会人になったころ経済誌の一つも読もうと思い立ち、おそらく誰か先輩のマネをしただけだと思うが、東洋経済を十年ほど読んだ。海外駐在になったときに止めてしまったが、おかげでずいぶん勉強になったものだと思う。東洋経済の誇りともいうべき元宰相・石橋湛山もここに眠る。


 善性寺の山門手前に、古い石造りの欄干が残っている。いまはもう川は無くて車道と歩道だけなのだが、かつてこの道があったところには川が流れていて、芋坂から下りて来た人たちなどは、その橋を渡ってお寺に参ったのだろう。その欄干が残っているのだ。
 


 片方には「将軍橋」と刻まれている。徳川将軍のお成りもあったので、この名を付けたのだろう。もう片方には「明治三十九年十二月也」と竣工の年月が記録されている。西暦1906年日露戦争終結の翌年にあたる。だから真之が来たときには、まだ川は流れていた。音無川という。天然の河川ではなく、生活用水と農業用水を兼ねた水源として、石神井川から分流させた人工の水路。


 音無川は子規の句や文章にも良く出てくるので、いずれまた稿を改めて話題にしたい。円地文子が戦後一時期、近くに住んでいたころにはホタルがいたらしいが、高度成長が始まって汚れたらしく、今は暗渠となり下水道として機能しているらしい。かつて、ここあたりに音無川という川があったことは、私の知る限り近所の消防施設の名としてしか残っていない。

 
 
 わが家が火事になったり私がいきなり倒れたりしたら、この消防署のお世話になると思うので、脚を向けて寝ることができない。JR日暮里駅の南口方面にあり、ときどき近くで消防団のみなさんが威勢よく訓練をしていなさる。さて、次回は「藤の木茶屋」のお話しだ。店は善性寺の真向いにある。


 あとは余談。音無川の名前は、「坂の上の雲」文庫本第一巻の最初の章「春や昔」に出てくる。秋山好古陸軍士官学校の第三期生となるべく上京し受験した。受験科目は候補が諸説あったが、結局、好古がやったこともない「作文」が出た。しかもお題の「飛鳥山ニ遊ブ」の意味が、そもそも分からない。

 好古は「飛ぶ鳥が山で遊んでいる」という独自の解釈に立ち、道後温泉の背後の山で飛鳥が遊んでいるという情景を描いて、それがよほど名文のだったのか受けたのか合格した。

 文中の司馬さんの説明によれば、飛鳥山(あすかやま)とは上野および隅田川堤と並ぶ江戸の桜の三大名所で、そのふもとに音無川がめぐっていると書かれている。私が初めて飛鳥山に行ったときは、薄紅色の寒桜が綺麗に咲いていた。




(この稿おわり)




隼人稲荷の守り神、良い顔つきである。
(2012年8月3日撮影)











































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