正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

緑馬事件  (第16回)

 このタイトルを見ただけで笑えるお人がいるならば、勝手ながら一方的に同志と呼ぼう。秋山好古が丹精込めて作り上げた近代日本初の騎兵隊も、いよいよデビュー戦を迎えるときが来た。文庫本第二巻の「日清戦争」の章に多少詳しくそれまでの経緯が描かれており、それはそれで何時かまた話題にする。

 今日の主人公は、若き騎兵将校の沢田中尉である。私の記憶では沢田さんは後にも先にもその名が見えず、ここにしか出てこない。だがわずか2ページ弱の劇中劇であっても、ヒーローはヒーローで変わりがない。しかも助演男優は前回ご案内した山地元治第一師団長である。チョイ役で好古も登場する。

 
 日本古来の馬は、今のサラブレッドしか見ない私たちにとっての馬のようではなく、外国人に言わせると「馬のような馬」だそうで、脚が短く小柄である。好古が評価する源義経鵯越は、サラブレッドのような馬ではすぐに脚を折りかねないように思う。だが、日本の騎兵は欧州でいう軽騎兵であって戦闘が主目的の集団ではなく、斥候・伝令などに用いられるから馬は速く走る方がよい。

 そこで陸軍はオーストラリアやフランスなどから西洋の馬を買い、まずは交配させて騎馬の大型化を図った。沢田中尉の馬も日本馬と仏馬の雑種で、新馬の頃から調教してきたそうだ。しかし、凶報があった。清国の大地では白馬では目立つので狙われやすいから持ち込み禁止という命令が下ったのだ。馬だけではなく兵も危ないから合理的な禁止令である。

 
 沢田さんの相棒は白馬だった。作者によると「厳密には葦毛で、白い地にまばらの斑紋がある」という馬だ。葦毛とは灰色っぽい馬のことで広い意味では白馬ともいえるか、ともあれ、やはりこれでも目立つだろう。1990年最後のG1レース、有馬記念で若き武豊をその背に乗せて、中山競馬場をトップで駆け抜けたオグリキャップが葦毛だった。

 白い地にまばらの斑紋とは、たぶん連銭葦毛だろう。丸っこい模様があるのだ。なぜこんなことをわざわざ申すかというと、今も覚えているが中学校で教わった古文に出て来たのだ。「連銭葦毛なる馬に、黄覆輪の鞍をいて」。平家物語屈指の名場面、敦盛の最期に出てくる平敦盛の武者姿。

 
 この日、一ノ谷に布陣した平家の軍勢は、鵯越の逆落としで背後を衝いてきた義経の騎兵戦術に翻弄されて大敗し、多くの武将を失った。乗馬姿のままで沖の舟に逃れようとしていた敦盛は運悪く、そうとは知らずに兜首を探し求めていた源氏方の熊谷次郎直実の目に留まってしまった。目立つ格好だったし。

 敦盛を組み伏せた直実は余りの若さに驚き逃がそうとしたが、味方の軍勢が来てしまい泣く泣く首を斬った。この人気場面は後に幸若舞でも「敦盛」として採り上げられ、これを持ち歌とした織田信長は、事あるごとに「人間五十年」と歌って踊っていたものだから、数え四十九の若さで死んでしまった。


 さて、沢田中尉としては人馬一体の連銭葦毛を置いていくわけにはいかない。「沢田は窮したあげく、染料を買ってきて、みどり色にそめた。緑馬というのは世界にもないであろう。」と司馬遼太郎は書く。このお方は好きな場面や好きな人が出てくると、俄然、筆の乗りが違ってくる。

 山地師団長の軍装検査は広島県の宇品で行われた。私は学生時代にここから高松まで船に乗り、一人で四国旅行に出かけた。讃岐うどんも食べたし、山地さんが育った土佐にも秋山兄弟が育った松山にも行った。当時は本四連絡橋がなく、この宇高連絡船で瀬戸内海を渡った。故郷の静岡や大学のある京都とはまた違った山陽や四国の山並みの遠景を今でも覚えている。


 「沢田は、この大きな緑馬に乗って風の中で閲兵を受けた」。重大な軍令違反である。下手をすれば軍法会議か。少なくとも緑馬は取り上げられても仕方がない。それに相手は独眼竜である。沢田中尉も勇気を奮ったものだが、騎兵たるもの、かくあるべしなのだろう。山地が見える片目で巡視してきて、「その前に立ち、おどろいたように随行の好古をふりかえった」とある。

 しかし山地さんたるもの、驚愕したというよりは、どこまで本気でどこから愛嬌なのか分からない部下の秋山の反応でも見てみようかと思ったのではなかろうか。「好古はすかさず」とあるので、彼も何と説明すべきか、緑馬を見てしまってから考えていたのだろう。


 それは「閣下、この馬は元来妙な馬であります」と大声で言っただけという、説明にも何にもなっていない報告で、馬のせいにしているだけであった。でも部下は守った。ともあれ、剥げ落ちなければ今は兎も角、中国の山谷では目立たないであろう。「山地はただ一つの目をそびやかせ、鉄色の顔をわずかに崩した。ほぼ察したらしい。」と文章は唐突にここで終わっているから、一件落着したのだ。

 晴れの舞台で部下を虚仮にしたら、士気に影響する。山地にも「容堂の近習あがり」の矜持がある。連銭葦毛、世界にもない緑馬、風の中の閲兵、元来妙な馬、鉄色の顔。絢爛たる言葉の綾織りだ。

 山地の軍はこのあと海を渡り、金州城や旅順要塞を風のように落とす。余りに早くて正岡子規の従軍が、「こどものあそび」のようになってしまった。この話はまた別の機会に。なお、このとき山地に随行した乃木さんの、長男は日露戦争において金州城で、そのあと次男は旅順で戦死している。



(この稿おわり)




上野公園の緑  (2014年8月10日撮影)











































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