正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

いろり端の軍神  (第41回)

 繰り返しになるが、かつて勤め人をしていたころ、現在も同様かもしれないが、東北から東京に出て来た人たちが同僚に少なくなかった。そのうち特に仲が良かった4人のうち二人が福島出身で、残りの二人が弘前出身というのも何かの縁なのだろうか。

 総じて彼らは頑固であり、仕事熱心で、親しくなれば情誼に厚く、それぞれ個性豊かなユーモアのセンスの持ち主である。かつて、つかこうへいが「あえてブス殺しの汚名をきて」だったか、東北の連中は雪が溶けると一斉に喋り出すから、うるさくてしょうがねえという意味のことを登場人物に言わせていたが、そういうのも笑い飛ばす腹の座り方だから、そういうことも書けたのだと勝手に解釈している。


 司馬遼太郎は「坂の上の雲」の調べ事をしているうちに、弘前における立見尚文の言い伝えを知る機会があったと「黒溝台」の章に書いている。いわく、「戦後、冬のいろり端で語られることといえば、この黒溝台の惨戦の話であり、さらにはかれらの生き残りの兵士たちはひとりとして師団長立見尚文をほめないものはなく、あの人がいたから勝ったということが、回顧談のしめくくりのようになっていた」そうである。

 立見はおそらく先祖は会津であり、本人は桑名で生まれ育ち、勇名を轟かしたのは長岡の合戦であって、弘前には師団長として親任されてきた言わば余所者である。しかも、奥保鞏や秋山兄弟と同様、「賊軍」の出身である。さらに本人だけの責任ではないが、八甲田や黒溝台で多くの兵を失った最高指揮官である。その弘前で彼は長く「軍神」として慕われたと司馬さんは言う。今はどうなのだろうか。


 この小説には源義経と楠正成がセットになって、少なくとも二回、話題に出てくる。最初の場面が何処だったか忘れたが、日本人は少数をもって大軍と戦って勝ち抜いた英雄が好きなのだという趣旨だったはずだ。鵯越の逆落としや千早城のゲリラ戦が、私も含めて大好きなのである。司馬作品にも多い。高杉のクーデタも土方の最期も、立見らと戦った河井継之助も孤軍奮闘であった。フィクションまで含めれば「七人の侍」も「20世紀少年」も同様である。

 九郎判官や正成さんが好きなのは、最後に戦死したからではない。少なくとも私はちがう。これに比べ、欧米人もテルモピュライやらアラモ砦やらがお好きなようだが、どうも壮絶な最期がお気に入りなのではないか。なにせ彼らの宗教では、殉死とか自ら犠牲になるとか(ハルマゲドンみたいに)、そういう結末が英雄的に感じるのだろう。一方的な想像であるが。


 義経楠公がもう一度、登場するのがこの「黒溝台」の場面である。こちらでは、歴史家の林屋辰三郎さんが唱えたという「語り部」についての議論においてである。「義経記」や「太平記」や「太閤記」という「宣伝機関」を持った義経や正成や秀吉が、後世の人々の人口に膾炙したという。正しい見解であろう。

 勢い余ってここでも司馬さんは、乃木将軍も同じような恩恵にあずかったと書き、乃木神話の信者を怒らせているだろうが、それはともかく立見尚文が、ときの政府かつ殿の親戚筋のために薩長と戦っただけで、明治陸軍の中で孤独であったという作者の独り言のような述懐は、この小説全体において(というよりも司馬作品の大半において)、薩摩長州とある程度の距離を置いた位置をここでも守っている。

 ともあれ立見尚文と第八師団は、司馬遼太郎坂の上の雲」という語り部を得た。事のついでに、私というインターネット語り部も得た。残念ながら無数の「坂の上の雲」ファンの大半は、立見について殆ど全く語らない。主人公の秋山兄弟か、「宣伝機関」の神社がある東郷や乃木や広瀬しか、眼中にないかのようである。でも一度、考えてみてはどうだろうか。死地で戦うとしたら、誰の軍で働きたいか。


 立見本人は日露戦争後、間もなく病死する前に、「おれは黒溝台で死ぬべきところであった」と繰り返し語ったらしい。彼はちょうど還暦のお年頃に、極寒の地で馬に乗って指揮をとったのだから敵弾か寒さで死んでも不思議ではなかった、という意味だけだろうか。彼もきっと同じようなことを考えていたのではないか。戦後の真之や、あの日の乃木がおそらくそうであったように。

 さて。私は東北人のように粘っこく、もう少し弘前出身の人たちのことを書こうと思う。日露戦争とは直接関係ない人も出てくるが、誰も気にしてくれまい。今回は詳しく書かないが、陸羯南弘前の人である。もしかしたら、そのことを知ったのは「坂の上の雲」ではなく、別の本かもしれず、その文庫本は今も拙宅の本棚にある。「毒舌日本史」というのだが、これがまた面白いのだよ。



(この稿おわり)




宮古島の海中にて。この上あたりをバルチック艦隊は通過したのかな。
(2014年9月11日撮影)











































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