正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

偉人堂の額  (第43回)

 
 1970年代。そろそろ色気付いてきた中高生の私たちにとって、平凡パンチ週刊プレイボーイは、教科書が意地悪く避けて通る貴重な情報を収集するには欠かせない有り難き雑誌であった。

 私はプレイボーイ派であったが、これは両者を読み比べた上で厳選した結果ではなく、貧しくて買えない当方に、時々まわし読みさせてくれる級友がいたからだと思う。


 同誌は今もそうだが(つまり、まだ読むことがある)、政治経済社会の課題や展望などを、真面目にわかりやすく世間知らずの我々にも分かるように解説してくれる。読み疲れた場合に備えて、当時は目の保養と形容した美麗な写真などが付録になっている。

 このころ週刊プレイボーイを愛読したもう一つの理由は、今東光の人生相談を読むのが楽しみだったからだ。すでに直木賞も受賞し参議院議員も務めていて、世間的には立派な文化人と呼ぶべきお人でありながら、気に入らない相談者に対しては、この馬鹿野郎というご回答。


 他方で私は何度も彼が、いい質問だった、いろいろ考えさせてもらったよ、どうもありがとうと答えていたのも覚えている。彼はこれからの日本を背負って立つ若者に、真摯に対していたのだ。とは言いつつも、次のには驚いた。もう一度、読みたくてこの問答を収録した文庫本を買ったほどである。

 相談者は23歳男性。近所に住む中学生の娘が好きになり、でもどうしたら良いのか分からぬまま、半年以上も毎日毎日、彼女の家にいたずら電話をかけてしまっている。彼女にバレたら死んでしまう。自首すべきなんだろうか(匿名希望)。回答を全文、引用する。


 自首するより死んだほうがいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話をかけたりするバカなら、自首するより死んだほうがいい。自首すりぁあ、恥をかくからね。恥をかくより死んだほうがいいよ。切に自殺をお勧めいたします。


 念のため、今東光は奥州中尊寺貫主もつとめた天台宗の高僧であり、その墓は上野東叡山の寛永寺にあって、根岸の子規庵から石を投げれば投げ返してきそうな距離にある。さて、和尚の博覧強記ぶりは、著書「毒舌日本史」においでも遺憾無く発揮されている。やっと本題。

 前回の続きで、吉田松陰が肥後の宮部鼎蔵と共に、弘前で訪い語り合った伊東広之進は、同市役所のサイトによると儒学者と紹介されている。彼の伊藤家は今東光の親族で、「母の実家です」と和尚が書いている。ちなみに、東光と日出海の兄弟のご尊父は、信濃丸でお馴染みの日本郵船の船長さん。


 母の兄すなわち今和尚の伯父上が、伊東家にて松陰が泊まった部屋を、後年、「偉人堂」の名で保存することにした。立派な文化遺産とすべく、壁に額が必要だという話になった。吉田松陰ゆかりの書の大家ということで人選されたのが、位人身を極めた山県有朋。また大変な大物を選んだものである。

 人伝てに聞くと、山県の書は順番待ちが長蛇の列で、三年も五年も待たねばならないという。それでも良いと伯父さんは受けた。東京に住む今家を受け取り先として、何年だろうと待つと決めた。しかし取りに来いという連絡が来たのは、頼んでわずか一週間ほど後のことだった。つづく。



(この稿おわり)



日本の夜明け  (2014年12月12日撮影)