正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

宮古島再訪  (第64回)

 永井荷風の「西遊日記抄」は、西暦千九百三年すなわち日露開戦の前年に始まる。明治三十六年、つまり子規が亡くなった翌年だ。よく似た名の「西遊記」は、高僧が天竺にお経を求め、苦難の長旅をする物語だが、荷風は本当に遊んでいた感じがする。もっとも最後は旅費に困り、就職活動までして働いているのだが。

 彼が留学できたのは、ひとえに親父様の七光りだろう。日本郵船のお偉いさんだったらしい。「あめりか物語」にも詳しいが、荷風は母国が国運をかけた戦争の前後にわたり、アメリカにいて西洋の小説を読み、舞台を楽しみ、「淫楽」を求めてやまずという生活ぶり。せっかく在米日本公使館に就職したものの、自他ともに認める能力適性不足のため、公使館が多忙を極めたポーツマス条約が締結されると、あっさりクビになっている。


 この「西遊日記抄」の冒頭、1903年9月22日に荷風は、「郵船会社汽船信濃丸にて横浜港を発す」とある。この信濃丸は、もちろんあの信濃丸である。荷風を載せてシアトルまで運んだあとで海軍に徴用され、1905年5月22日未明、成川艦長らが気付いたときにはバルチック艦隊のど真ん中にいた。

 成川大佐、配下を集めていわく「不覚なるかな、すでに我らは死地に入った」と平家物語のようにのたまい、ついては船が浮かんでいる限り打電し続けよと訓示しつつ、面舵一杯を命じた。「船が傾ぎ、波が右舷に盛り上がって、たちまち甲板を洗い、やがて左舷のほうへ滝のように流れ落ちた」という勇壮な光景が描かれている。信濃丸は脱出し、「敵艦隊が見えます」と打電し続けた。


 この数日前、粟国島から宮古島に小さな商船で渡らんとしていた奥浜牛らの物語にはすでにふれた。彼の報告によれば、ロシアの大艦隊と遭遇したのは慶良間諸島宮古島の間であったという。うちの地図では一番深い水路が慶良間列島の近くにある。次の写真がその島々の遠景です。撮影した日はあいにくの曇天で、慶良間の島々もかくのごとくその姿が霞んでいる。奥浜牛の故郷である粟国島は、晴れていればこの写真の上の方に映っていたはずだ。



 彼がたどり着いた漲水(はりみず)と、印鑑を作るために走り回った平良(ひらら)の地名は、次の写真の地図では上の方に、その名が見える。速報を石垣島に届けるべく、垣花善たちが出航した久松漁港の地名は、西側(地図の左のほう)にある。これと似た写真は以前も載せたのだが、見づらい一枚だったので、今回の宮古島再訪の際に、空港のそばで撮り直してきました。


 


 今回はもっぱら海で泳いだり釣りをしたりで過ごしたため、平良にも久松にも行く機会が無かった。しかし、偶然というか不思議でも何でもないというべきなのか、晩飯に寄った寿司屋の板さんの名が平良さんであった。平良のご出身だそうで、もっとも「たいら」さんとお読みするとのことである。 

 おまけに、そのあとで乗った釣り船の船長さんの名が、垣花さんであった。宮古島沖縄本島にある名字だそうで、但し宮古では「かきはな」、本島では「かきのはな」と読み方が異なるらしい。釣れたのは「クマドリ」という和名のカワハギ一匹であった。不調なり。波が荒くて珊瑚礁の外に出られなかったのである。


 改めて詳しく書くまでもないが、この日本海海戦前夜の沖縄の若者たちの奮闘ぶりはすさまじいものであった。太平洋戦争で沖縄は悲惨を極めた。それなのに、今の日本人は沖縄に対してあまりに冷たくないか。ネットでは見も知らぬ知事に対する罵詈雑言があふれかえっている。

 先年の報道によれば、北海道の議員がアイヌに対する暴言を吐いたという。拙宅の近くには明治から昭和にかけての富国強兵時代に、朝鮮半島や大陸中国から来た人たちの子孫が住んでいて、長年近所で暮らしている人でさえ日本人と区別がつかないというのに、相変わらずヘイト・スピーチが時々来る。国粋主義といっても、「国」という概念が抽象的すぎるので、土地や民族のちょっとした違いで境界線を張ろうとする。


 先日、スピーチの連中がきたあとで、巡回中の若いお巡りさんに、「あのヘイト・スピーチ、何とかなりませんか?」と尋ねたところ、「ヘイト・スピーチって何ですか」という率直なご質問をお受けした。

 こちらから声をかけた以上は説明する責任があるので、さっきの喧しいデモですと伝えたが、「はあ」と反応が芳しくない。やむなく「やはり民事不介入でしょうか」と訊くと「はあ」とのことでした。まあ、取りあえず町内が平穏無事なら、それで良いのだが。


 ネットの書き込みには、戦争反対のお年寄りに対する、ジジババは引っ込んでろという勇ましい意見も散見される。これは頼もしい。

 有事の際は、ぜひとも同じセリフを吐いて銃を取り、最前線に一番乗りしてください。私は皇帝のお誘いがあろうと、太公望のままで過ごす。この国土が蹂躙されない限り。




(この稿おわり)






釣果のカワハギ。ちょっと見えにくい写真になった。腕が悪いね。
(2015年7月20日、海の日、撮影)
















































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