正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

何とかチェンコ  (第65回)

 今日は雑談風の短い文章です。今年も物騒な事件が多発しているが、特に去年から延々と続いているウクライナ情勢の悪化がキナ臭い。あの爬虫類のような目をしたロシアの大統領は、公然と核戦争の準備があると述べた。ウクライナの地でチェルノブイリ原子力発電所の事故を起こして世界中に迷惑をかけておきながら、全く懲りていない。経済制裁を受けて当然である。

 これに関するニュースでときどきウクライナの高官の名前が出てくるのだが、その中に何とかチェンコとか、何とかシェンコという語尾の名が散見される。旅順の大要塞を設計して後に運命を共にしたコンドラチェンコや、好古の宿敵であったコサック騎士団の領袖ミシチェンコは、いずれもウクライナの出身なのである。不屈の4回転男プルシェンコはロシアの選手だが、先祖はウクライナから来たのかもしれない。


 私が高校の世界史の授業で習ったときも、「坂の上の雲」の本文中にも、ロシアでスラブ民族の国家が記録上、初めて成立したのはキエフ公国であったということになっている。しかし古い文書によると支配者はスラブ人ではなく、ヴァイキングだったという説もあるらしくて、そのためか冷戦下のソ連は西側から来た連中に支配されたなどと認めたくなかったらしく、この説を否定していたと聞く。

 ヴァイキング。印象としては、あの二本角の兜をかぶった海賊。コロンブスよりずっと前に北米大陸に行ったらしいが無視されている。キエフ公国は後にチンギスハンのお孫、バトゥのキプチャク汗国の領土となり、はるか後年、ドミトリー・ドンスコイという、どこかで聞いたことのある名前の人物等の活躍により、後にロマノフ王朝を生むロシア大公国になった。


 日露戦争時のロシアが、ソ連と違ってウクライナヴァイキングを軽んじていなかったことは、その軍艦名に、それらをちなんだ名を付けていることからも分かる。かつて「船大工」というタイトルで記事にした巡洋艦の名「ワリャーグ」は、そもそもヴァイキングのことである(ただし、異説もあるらしい)。仁川沖で沈んだ。

 また、今のウクライナ近辺の地名にルーシというのがあったらしく、それこそロシアの語源になったのだが、この「ルーシ」もバルチック艦隊に所属する小型船の名で、ロジェストウェンスキーに「小僧」と呼ばれていたが、日本海海戦に参加し沈没している。

 キエフ公国の建国の父は、ルーリックという名であったと勉強したものだ。その名を冠した巡洋艦リューリックはウラジオ艦隊に属したが、これも日露戦争で沈んだ。そろって良く働いたが、辛い軍艦であった。


 コサックは一箇所だけを出身地とする民族でもないらしいが(何とかコサックと出てくる通り)、その出身地の一つがウクライナで、ミシチェンコもその一人だったのだ。コサックはロシア帝国の近代化の下、生き残り戦術として、傭兵の道を選んだ。騎兵だけではなく、「坂の上の雲」では「血の日曜日事件」の制圧側になっている。

 いきおい、ロシア革命においてはロマノフ王朝の戦闘部隊と見なされ、厳しい弾圧にあった。ミシチェンコは拳銃自殺している。私がコサックという固有名詞を知ったのは、おそらくあの独特のコサック・ダンスだと思うのだが、時代の荒波に翻弄されて消えた民族が残した文化だったのだ。




(この稿おわり)





宮古の某ホテルにて。「海賊食い」かな。
(2015年7月18日撮影)











































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