正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

挙兵  (第70回)

 今日は前回の書き残しを記すのみなので、正岡子規や「坂の上の雲」とは殆ど関係ないです。でもそれでは淋しいので強引に関係づける。子規は「仰臥漫録」の第二巻において、広重の東海道五十三次を話題にしている。日付は無いが、亡くなる年の7月から9月の間であることが前後の日記の日付から推察できる。なぜ重症の彼がこの画集を観たのか不明だが、旅好きだった彼の夢は枯野をかけめぐったのだろうか。

 彼の記録癖もここに至れりという感じで、表紙と思しきものまで写生されている。中央に「五拾三駅 東海道続絵 全」とある。これが書名のはずで、「東海道五十三次」ではない。作者名は「一筆斎広重 筆」とあり、版元名に「錦橋堂蔵版」とある。私も大人になってから知ったのだが、広重の「東海道五十三次」は何種類かある。同じ駅(宿場)でも、違う絵柄が残っているのだ。一番有名なのは「保永堂」という版元から出されたものだから、子規は私が見慣れたものとは違うバージョンを観ている。


 彼は批判精神が旺盛な人なので、ここでも天下の広重相手に、この「絵本」は「不用の人」の画が多すぎて「俗」であり、「早年の画ならん」と未熟扱いしている。残念ながら、そのあとに「草津に青草摘」と書いてあって、露草に似ていると感想を述べているのだが、これで明らかに子規が観たのは、広重晩年に追加で描かれた別の版画集であることが分かる。

 ものすごく大雑把にいうと、広重は特に五十三次において後年になるほど人物画が多い。北斎は反対で、通常の美人画などの浮世絵から始まり、肉筆や風景画に発展していった。さて、湯河原には東海道線で行ったと書いた。子規はご丁寧に瀕死の重病でありながら、筆まめにも東海道の五十三駅の名を全て「仰臥漫録」に書き並べている。

 しかし小田原の次は箱根、その次が三島となっていて(実際、宿場町はこの順序)、湯河原や熱海は出て来ない。江戸時代の東海道の街道は小田原で海岸沿いを離れ、北側の箱根山方面に向かう。今も国道一号線はこのルートを走っている。湯河原や熱海は昔、大街道沿いではなかったのだ。


 参勤交代の殿様に温泉遊びなどさせるもんかという魂胆であろう。徳川幕府の考えそうなことだ。湯河原を真北に千歳川沿いを走るバス道路は、そのまま坂を登りながら進むと箱根の芦ノ湖方面に出るはずだ。もっとも我が家はその時間も計画もなく、途中でバスを下車して「ししどの窟」という旧跡を訪った。私は海で泳ぐのが一番の娯楽だが、山道を歩くのも好きです。バス停の傍らの草地にチキチキバッタがいた。

 ここから小さな山の道を登って三十分ほどであろうか。山道には空海法師の小柄な石像がたくさん並んでいる。真言密教といえば山伏、山岳信仰とは縁が深い。

 この「ししどの窟」とは、古い文書や言い伝えによると、平家討伐のため挙兵した源頼朝が早速、緒戦の石橋山合戦で敗退し、地元出身の家来、土肥実平さんのお導きで逃げ隠れた所であるという。縄文時代の竪穴式住居もかくやあらんという感じの小さな石窟で、十人も収容できまい。


 バスで下に戻り、就職後、五所神社にお参りする。温泉街道沿いの目立つところにある。天智天皇の時代からの御鎮座というから古い。古事記の主人公、天照大神ほか余りにたくさんの神様を祭っているので覚えきれずに帰って来た。これだけ神様がおればご利益もさぞやと思われるが、この神社は頼朝が石橋山の戦いの前に、必勝を期して祈願の護摩をたいたという挙兵の地である。結果は前出のとおり。

 
 ちなみに、好古が騎兵の将として織田信長とともにその名を挙げ、フランス人に対し日本にも天才ありと自慢して承認されたと「坂の上の雲」にも出でくる源義経は兄頼朝の軍勢に、このあと伊豆で合流しており、石橋山は義経不在で負けた。誰のおかげで清盛の一族に勝ったのか、最初から一目瞭然である。

 この神社には左側の写真にある大きなクスノキが立っていて見事な境内である。うちの親戚に山里で林業などを営んでいる伯父さんがいて、何年か前に彼の車で関ヶ原の古戦場に残る石田三成の陣地跡に行ったことがある。ここにもクスノキがあって、伯父さんいわく何故か武家の墓地や陣地跡にはクスノキが多いのだという。

 なぜだろうと訊かれ、分かるはずもなく「楠公にあやかったのでは」と適当に答えてしまった。クスノキ八幡神社にも多く、もっと古くからの由緒があるのかもしれない。それにユズリハ形式の常緑樹なので、殺風景な枯れ枝にならず豪勢で宜しい。


 このあと万葉公園というところに寄ってから、お宿の清光園にチェックインした。あまりに日時の余裕がない旅だったので、観光はこのくらいで終わり。あとは飲み食いと温泉である。お湯は自然に湧いて出るそうだ。

 夕食はグレードアップしてもらい、下の写真にあるとおり、これまた豪勢であった。一泊でも近場でのんびりというのは良いものだ。ししどの窟の内側から撮影した、カーテンのように入り口を流れ閉ざす滝の写真で旅行記おわり。 





(この稿おわり)








夕食の刺身、盛り合わせ  (2015年9月22日撮影)




帰り際、朝の箱根山系にて  (同23日撮影)


 見ろよ青い空 白い雲 そのうち何とか なるだろう
 坂の上の白い雲は、見る人を楽観的にするらしい。

















































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