正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

肉弾  (第75回)

 手元に古い本が一冊ある。おそらく私の蔵書の中で、最も昔に発行されたものだと思う。奥付によると、昭和8年5月10日に印刷され、同15日に発行とある。ちょうど私の母が生まれた頃で、昭和8年(1933年)というのは今上がお生まれになった年でもある。

 ただし文庫本である。最初に単行本で出されたのは、明治39年1906年)であると筆者も書いており、日露戦争終結の翌年にあたる。今回のタイトルそのもので、「肉弾」という作品である。著者は櫻井忠温(ただよし)。

 
 背表紙には「肉彈 櫻井忠温著 新潮文庫 ¥.30」と印刷されている。最初は30円かと思った。しかし、昭和一ケタの30円は現在の貨幣価値に換算すると千倍以上はあるだろうから、数十万円になってしまう。ここは小さな「.」が曲者で、要するに奥付に「定価三十銭」と書いてある(以下、原則として新仮名を使う)。

 カバーなどないから、表紙はすっかり日焼けしていて茶色い。なぜか今の文庫本より、1センチほど背が高い。印刷されている「発行所」新潮社の住所は「牛込区矢来町」となており、私の行動半径内にある。今は新宿区だが、牛込の名は随所に残っている。


 著者の櫻井さんは、日露戦争に出征した。階級は陸軍中尉である。最初は奥保鞏将軍の率いる第二軍に配属されるはずだったが、師団ごと新たに編成された第三軍に組み込まれ、乃木希典将軍の配下の一員となって旅順に向かう。

 第一次旅順総攻撃で全身数か所に銃弾を浴び、特に利き手の右手を失うという重傷であった。このため、日本に送還されて終戦を迎え、ご本人は戦友を大勢亡くして大変な辛い思いをされたようだが、幸い彼の著作を私たちが読めることになった。


 しばらくは、この本と「坂の上の雲」の該当部分を、同時並行で読むつもりでいるのだが、最初のうち困ったことに、「肉弾」は我が師団とか我が連隊という言葉しか文中には出て来ないため、軍名・師団名など組織の通し番号で記述が進んでいく「坂の上の雲」との比較ができなくて弱った。

 もちろんネット情報には出てくるのだが、玉石混交のインターネット記事のどれを信用していいものやら分からない。ともあれ、一応何とか名前を知っている団体のサイトに彼の紹介文があったので、他と大差ないから信じることにしよう。


 これは子規のご縁である。松山市立の「子規記念博物館」のネット・サイトに、「松山出身の陸軍軍人であり、戦記作家・画家としても活躍した、桜井忠温(ただよし)(1879〜1965)」と紹介されている。長命されたので、私の人生と数年重なっている。

 松山に置かれた陸軍組織は、歩兵第22連隊である。彼はこの連隊に所属した。出身地といい陸軍といい、秋山好古の後輩ということになる。歩兵第22連隊は最初、広島に置かれた鎮台の下部組織であった。これが後に第五師団となる。


 松山と鎮台といえば、神が住むという水練の池に素っ裸で入って来たチンダイさんを、真之が追い出して騒動になった事件がある。それはともかく、後に全国で師団が増えて、香川県善通寺に第十一師団が置かれて四国4県の所轄となり、歩兵第22連隊もこの師団内に編成されて日露戦争に出陣している。

 第三軍は激戦地ばかりであった。旅順を落とした後、奉天の会戦にも参加している。「肉弾」には出て来ないが、昭和期まで存続した。ただし、沖縄戦の末期に米軍の掃討戦に遭い、奮闘のうえ全員戦死、組織ごと地上から消滅した。

 
 肉弾という言葉は、広辞苑にも出て来るが、この櫻井中尉の本が出て広まったと書いてある。大学のときに今は亡き寺田農の「肉弾」という映画を観たのを覚えているが、両者は直接関係がない。もう一般の用語になっていたのだろう。「坂の上の雲」にも、肉弾という言葉はたくさん出てくる。

 刀折れ矢尽きた兵士に残された最後の武器が肉弾である。この著作は、周囲の戦闘員の勇気や敢闘とともに、戦争の悲惨さを体験者ならではの現実味と感情をこめて書き綴られている。このため、軍国主義の時代には、辛い思いもしたらしい。今の時代にこそ読まれるべき本だろう。


 なお、私の記憶する限り、「坂の上の雲」にこの作品に関連する記述はなかったように思う。片っ端から関連資料を集める司馬さんが、5年ほどの準備期間を置いて書き始めた小説だから、読んでいないはずはないと思うのだが...。

 ともあれ、作者が遼東半島に渡った時期は、文中に記されており、1904年5月の下旬である。その少し前に好古も第二軍の一員として同じ地に渡った。戦争は海軍が先行した様子だが、この時期、既に3月には広瀬武夫、4月にはマカロフが戦死し、この5月は旅順港で戦艦の初瀬と八島が触雷して沈没するなど大混乱の時期に入っている。


 ロシア海軍の極東艦隊は、旅順港に閉じこもってしまった。海軍の強い要請を受けて、旅順要塞を陥落させるため第三軍が遼東半島の西端に進撃する。概ね、その前半にあたる時期が、この「肉弾」の伝える日露戦記である。

 本文の内容だけでなく、古書そのものや付録の魅力も併せて書き残せたらいいなと思う。製本用語で「見返しの遊び」というらしいが、表紙の次にある「旅順実戦記」と書かれているページと、裏表紙の計2か所に「須藤」という三文判が押されている。朱肉も霞んでいるが、かつての所有者でいらっしゃるのだろう。大事に読みます。




(この稿おわり)






かくのごとく、戦前だから右から左に読む。



















































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