正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

後付けと検印  (第76回)

 「後付け」とは麻雀用語にもあるが、他の意味もあり、製本業界で使うそうだ。素人の私は、本といえば表紙と本文からなると思い込んでいたのだが、言われてみれば確かにそれらの間には付録がある。上表紙と本文の間にある「献辞」や「まえがき」などを前付けといい、裏表紙の前にある「あとがき」その他を後付けと呼ぶのだそうだ。

 文庫本「肉弾」の後付けには、当時販売中の新潮文庫の作品名が並んでいる。芥川龍之介羅生門」、小林多喜二蟹工船」、シェークスピアの「ハムレット」等々。新潮文庫のウェブ・サイトによると、かつては毎年発行していたのではなかったそうで、「肉弾」や「ハムレット」は昭和八年の第三次発売時のものであるらしい。前回の写真の表紙に書いてあった「第三十二編」とは、この第三次の32番目の本だったのだ。

 
 この文庫の後付けに「あとがき」や「解説」はない。本文最後の次頁に(正確には本文の続きに、だろうか)著者の作と思われる「わが大君、ものなおもほし、ことしあらば、火にも水にも、われなけなくに。」という短歌が載っている。万葉集に似た和歌があり、本歌取りしたらしい。「ことしあらば」には暫く悩んだが、今年ではなくて、事があればという意味なのだろう。

 その次に「奥付け」がある。奥付けは現代の書籍にも必ずあって、著者名や出版社のほか、年号のあとに第何版、第何刷などと書いてあるところだ。私は本を買う時に、予算内でどれを選ぶか迷うときには、ここを見る。版や刷を重ねていれば売れているということだ。専門書などでは重要な情報である。ネットの本屋では、これが分からない。


 今は無いが奥付けには、私が青少年だったころ、「検印省略」とか「検印廃止」などと書かれていたもので、一体これは何なのだろうと訝しんでいたものだが、そのうち「省略」すら省略されてしまった。検印とは著者が、印刷された本の数を数えるために捺印したもので、印税に関わる重要なものだったらしい。今はどうやって確かめているのだろう。

 手元の「肉弾」は昭和8年発行で、まだ検印の制度が現役だったようだ。ちゃんと切手サイズの和紙が張られ、その上に朱肉の赤い色が少し掠れた印影が見える。しばらく眺めていたら、ようやく何の字か分かった。「桜」という字をあしらっている。著者の櫻井忠温氏の頭文字なのだろう。


 前回、櫻井中尉と書いたが、正確を期せば出征時には少尉であり、途中で昇進して中尉になったと本文にもある。本人の能力や貢献もさることながら、数多くの士官が戦死したという事情もあろう。その旅順包囲戦で、作者は右手を失った。だからこの判子はご本人が捺したものかどうか分からないが、彼の印であることに相違はない。

 小説「坂の上の雲」の解説を書いた島田謹二教授は、本文中にも何度か出てくる「ロシヤにおける広瀬武夫」の著者であるが、この著作の前書きにおいて、「坂の上の雲」にも引用されている印象深いエピソードを残している。


 一九五九年の秋というから、私が生まれる前の年だ。島田先生は東大の図書館で何気なく開いた本の「フライリーフ」(書籍の白紙や余白の部分)に、「均等な力を持って捺されている」あざやかな朱肉の二文字を見た。そこには「武夫」とあった。我々が「坂の上の雲」で親しんでいる広瀬とアリアズナの物語は、こうして時の流れを超え現代に蘇った。

 私も前回触れたように、以前の持ち主である「須藤」さんの朱肉を見て、今回は「桜」の検印を見出すにつけ、古本というものの良さを改めて実感している。後付け、おそるべし。なお、この第三次の発行リストの著者名のうち、「坂の上の雲」に出てくる人の中にトルストイがいる。クリミア戦争でロシアがセヴァストポーリに大要塞を築き、トルストイも従軍した。


 さて、せっかく後付けを話題にしたので、前付けも読もう。まず、著者による一頁だけの簡潔な前書きがある。「卑著」の「肉弾」が、侍従武官男爵の岡澤精閣下を経て、明治天皇のお手元に届けられた。著者は拝謁を賜り、龍顔に接し奉ることになった由。

 この岡沢精閣下は、すでにこのブログに登場していただいている。第七師団が旅順に派遣されることが決まり、大迫師団長が明治天皇に薩摩弁で挨拶して大笑いを引き出したという話を書き残した(あるいは、言い伝えた)御方である。まあ、当たり前か。ほとんど同じ時代なのだから。


 その次の頁は、画の写真である。野太い筆で、「壮烈」と書かれている(ただし、この時代なので「烈壮」と書いてある)。左脇に「贈 櫻井中尉」とあり、その隣に揮毫した人物が、下の名だけを署名している。「希典」。肩書も名字もない。この当時の乃木さんは陸軍大将で伯爵になっているのだが、戦場を共にした第三軍司令官は元部下に対して、一個人として贈りものをしたようにみえる。

 続く見開き2ページは、いわば解説文が先に来ているようなものである。書き手は大隈重信。彼の友人が著者の実兄で、櫻井彦一郎さんという。著者がまだ「旅順の戦士」であったときからすでに、兄に送られてきた手紙を見せてもらいながら、その文才と人情の機微に少なからずの関心を抱いていたとある。

 天皇陛下に差し入れたのも大隈先生であろうか。私はある国家資格の試験日に、会場だった早稲田大学のキャンパスで、大隈重信の巨大な彫像を初めて見た。ミンミンゼミが、かしましく鳴いている夏の晴れた朝だった。この像は拙宅の近所に住んでいた朝倉文夫の作品であります。さて、大隈さんはこの本とその英訳を海の向こうにも送り届けたらしい。その結果は次回に譲ります。




(この稿おわり)







その検印です。














































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