正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

敵前一曲の琵琶  (第93回)

 前回話題にした琵琶の逸話は、おそらく司馬さんも吉村さんも読んだであろう出典らしきものの名前を見つけた。あいにく、その現物を探し当てたわけではないが、「敵前一曲の琵琶」と題して発表されたものであるらしい。

 その「大要」が国立国会図書館に収められている本の中に収録されている。著者は私が昭和館で、古いレコードに録音された肉声を聴いた小笠原長生。書籍名は「東郷元帥詳伝」。以下、当時は旧字体の印刷だが、ここでは転記するのも大変なので、現代の字体や仮名遣いに適宜なおします。


 たぶん司馬遼太郎も読んだだろうと思った箇所は他にもある。小笠原さんの名も登場する「坂の上の雲」文庫本第八巻に載っている別のエピソードがある。主役は「左翼哨艦」の和泉。「壱岐対馬の間にて敵と接触し、時に敵の砲撃を受けたるも、かえりみずして一意厳密なる監視を続け、しばしば敵の状況を東郷司令長官に報告せり」。こう、始まる。こう、続く。
 
 「附けて記す。小艦和泉が一隻にて、敵の第艦隊に対し大胆に接触を保ちて並航したるは、かの長久手の戦に、少勢を以て豊臣秀吉の大群に対したる本田忠勝を彷彿せしむるの武者振りありと、味方諸艦称賛したる」が、敵の記録にも残っていることが戦後わかった。和泉の悠々、大胆不敵な行動には、「遂に提督の癇癪にふれり」とある。

 この提督とは無論、ロジェストウェンスキー長官。本多忠勝は、今年の大河ドラマ真田丸」で初代仮面ライダー藤岡弘が熱演している。真田の本拠地だった上田は、千曲川が流れる盆地にあり、川中島から近い。

 
 琵琶の逸話は、そのあとに出てくる。小笠原さんはこの日、大本営参謀で陸上にいるから、勿論その目で見たわけではなく、ある編者が発表した報告だと書いている。ちょうど三笠の艦上で、敵艦ご来訪の凶報または吉報に接して真之が小躍りしていたころか、片岡中将の第三戦隊が、信濃丸と和泉から襷を受けて、バルチック艦隊お出迎えの任務に就く。

 小笠原さんによると、その麾下の第五艦隊は、この当時まだ「巡洋艦隊」と呼ばれていたそうだ。日清戦争の生き残り船団は、最初のうち、公式の戦力に位置付けられていなかったのかもしれない。旗艦が厳島。僚艦は松島、橋立、没収した鎮遠。二等巡洋艦「松島」の奥宮艦長が、琵琶物語の舞台回しとなった。


 内容は「坂の上の雲」のとおりだ。敵の第艦隊は、沖ノ島に向かって進み、そのさま「壮絶」である。艦長は部下の士気が気になり、下士官室を覗くと、「いずれも沈着にして毫も平素と異なるなく、互いに敵の勢力、陣形等を評し合いつつ、定めの場所に休息して後令を待ち」、中には仮寝をする者あり、そのありさま従容たるものであった。

 そこに、「乗船中に薩摩琵琶を能くする一軍医の、たまたま、そこを通過するあり。艦長はこれを呼び止めて、得意の一曲をと所望しければ、軍医はただちに秘蔵の琵琶を上甲板に持ち来たり、撥音高く奏で出だすは、川中島の一曲にて、謙信、単騎敵陣を突くあたり、一急一緩、呂律よく整い、金鈴を振るごとき美音、凛として響き渡れり」。


 信玄役になったはずのロジェストウェンスキー提督は、このころ双眼鏡で鎮遠を見たが、捨てておけと言っただけだった。よほど、この細かい船が幾つか、くっついて回るのが五月蠅かったに違いない。そうとは知らない「松島」の船上では、掛け声手拍子が琵琶医師に贈られ、この光景の威にうたれた艦長は思わず涙を催したのであった。

 どうにも詳しい。これは創作を交えていない限り、大佐奥宮衛艦長でなければ、書けまい。あるいは語れまい。戦闘はこのわずか数分後に始まった。文庫本第八巻の末尾にある関連地図の「日本海海戦地図1」をみると、右上に決死の送迎任務を遂行し終えた片岡艦隊が、主力同士の戦場から一旦離れていく図が載っている。


 ただし戦線離脱したわけではなく、別の役目が控えている。例の病院船「オリョール」をひっとらえて佐世保に連行させた後で、日露の巡洋艦隊同士が撃ち合う戦場に戻って来た。

 吉村昭「海の史劇」によれば、両軍は激闘で傷だらけになったらしい。「松島」は砲撃で舵が損傷し、航行不能となって落伍せざるをえなくなった。あの軍医さんも、忙しくなっただろう。脇役の話も、当時の戦史には面白いものが多々ある。





(おわり)






信州 上田盆地 千曲川
(2016年10月5日撮影)



























































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