正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

雁  (第107回)

 最後の輪王寺宮は、後に赦されて伏見宮家に戻った。されどご本人は肩身が狭かったのか、海外留学を切望され、明治天皇の御許可を得た。宮様は明治天皇の叔父である。商船でドイツに渡った。出航時には同じ船に西園寺公望が乗船していたらしい。

 6年余りの留学中、宮はドイツの陸軍学校に学んだ。メッケルと入れ替わりだな。帰国して陸軍に入る。出世して第四師団長になった。大阪の第四師団にいる間に、日清戦争が始まった。ただし、子規の手紙にもあったように、年明けまで国内勤務だった。


 宮の運命が再び大きく転換したのは、1905年に入ってからである。4月に日清両国間で講和条約が締結された。順調なのはここまで。このあと三国干渉があり、5月上旬にやむなく応じている。

 子規が帰国の途についたのが、5月15日。北白川宮能久親王はこのころ、近衛師団長に栄転しており、その地位で台湾への出征が決まった。台湾は上記の講和条約により、日本への割譲が決まっていたのだが、現地でこれを不満とする反乱軍が蜂起した。「坂の上の雲」には出てこない。


 近衛師団長はまず広島の大本営に行き、陸軍の参謀総長、川上操六や、海軍の軍令部長、樺山資之らと会う。子規が船で血を吐いているころ、台湾に渡った。結論から申せば、乱は平定されたのだが、当初は清国軍のほうが兵数が多く、どんどん南に逃げていくので半年くらいかかっている。

 その間に、マラリアが流行った。宮も罹患し、症状がひどく、竹製の担架に乗って進軍した。そして手当の甲斐なく、現地で薨去された。弔問客の中に、同じく台湾に出征していた仙台第二師団の乃木希典もいる。


 国内では例によって、戦争中ゆえ国民には伏せられた。ご遺体は「病人」という名目で(フェリケルザムと同じだ)、樺山さんが黄海で乗り回した例の西京丸に載せられた。護衛に当たった軍艦は、二年前に真之が英国から引っ張って来た「吉野」である。

 日本に戻ってから訃報が公になり、国葬となった。葬儀の当日、棺に付き添ったのは当時の陸軍大将、野津道貫である。右の写真はずっと前にも載せた覚えがあるが、うちの近くの石碑に野津大将の名がみえる。


 話は変わる。吉村昭彰義隊」に、寛永寺の戦乱当日の描写として、次のような一文がある。

 薩摩藩の大砲隊長は、黒門口をのぞむ会席料理の松源と仕出し料理店の雁鍋の二階に砲をかつぎあげさせて、そこから砲撃させた。このことが後に江戸市民の批判を受け、人気のあった松源の客足は徐々に少なくなり、やがて廃業の憂き目にあった。


 店の責任とは思えないのだが、ともあれ当時はまだ江戸っ子気質が残っていたらしい。もっとも、松源も雁鍋もすぐに潰れたのではなさそうで、「明治十三年ごろ」に時代設定している森鴎外の「雁」に出てくる。この小説には、不忍池で雁狩りをする場面があった。鴎外の文章は次の通り。

 岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。


 次は子規だ。雁鍋は「病床六尺」にも出てくる。ただし、子規本人が行ったことのある店なのかどうかは、これだけでは分からない。少なくとも書いたころには、もう病床六尺の世界がすべての病身だ。「雁鍋」には、「がんなべ」というフリガナがある。

 鳥づくしといふわけではないが、昨今見聞した鳥の話をあげて見ると、
一、この頃東京美術学校で三間ほどの大きさの鳶を鋳たさうな、これは記念の碑として仙台に建てるのであるさうながこれ位な大きなフキ物は珍しいと言ふ事である。 (中略)
一、上野の入口へ来ると三層楼の棟の所に雁が浮彫にしてある。それは有名な「雁鍋」である。それから坂本の方へ来ると、或る鳥屋の屋根に大きな雄鶏の突立つた看板がある。それから根岸へ来ると三島前の美術床屋には剥製の白鷺が石膏の半身像と共に飾つてある。


 さて、ここで最初の「鳥」として出てくるのが鳶(トビ)で、東京美術大学とは、今の東京芸大です。谷中にある朝倉彫塑館もようやく改築が終わり、このほど新装開店したが、朝倉文夫美大の学生であり、上野動物園でスケッチしたり、動物の像を造ったりするのが好きだったらしい。

 文中の「フキ物」というのは何だろう。辞書的な意味は、ガラス細工のように吐息で膨らませる工芸品などを指す。三間の大きさと言えば5〜6メートルもあろうから、吹いたとは思えん。その前に「鋳た」と書いてあるし...。続きは長くなったので後日にします。




(おわり)



幸田露伴旧宅の珊瑚樹
(2017年4月23日撮影)


朝倉彫塑館の裏門
(同日撮影、すぐそばです)
















































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