正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

饅頭山の戦い  (第111回)

 「児玉がつねづね自分のあたまの内容をうたがっていることを知っている」黒木は、渡河作戦の重要さを改めて児玉源太郎に諭され、「おいをこけにするか」と卓子を叩いて怒った。ともあれ、全軍を引き連れて渡った。目の前に高粱畑が広がっていたらしい。コーリャン。五穀のメンバー、アワの一種。

 その平野のところどころに、丘陵がある。そのうちの幾つかに、ロシア陸軍が要塞を築いている。黒木将軍のあたまの内容は、これをみて、傍らの藤井参謀長にこう言っている。「あれは、いい山じゃないか」。饅頭山と五頂山という名が載っている。


 つい同意してしまった藤井さんのみならず、作者も「名のとおり、いかにもたやすく、とれそうであった」と書いているが、それに続けて「これが、大地をずだずたに裂くほどの大激戦場になろうとは...」という怖い予告編がある。名のとおりとは、語感からして饅頭のほうだろう。

 地図でみると、この二つの山は、けっこう離れている。このため、黒木軍は二手に分かれ、饅頭山に仙台第二師団、五頂山に小倉第十二師団が向かった。敵には砲弾が充分にある。日本側は早くも節約の必要が生じていた。金山でも旅順でも大量消費している。


 このため、「肉弾戦が続出」という事態になった。「仙台師団のなかの原田連隊のごときは、この連隊の得意の夜襲をおこなうことにし、敵に迫り、五十メートルのところで着剣し、突撃した」。

 ロシア兵も強い。「坂の上の雲」全編にわたり、ロシアの特に陸兵は強い。このときも、塹壕から飛び出してきて格闘となり、「血飛び、肉ちぎれ」の白兵戦になった。


 著者いわく「黒木軍全般の比類を絶した強さ」と、クロパトキンが野津・奥と対戦していた主力を、中華料理の円卓のように「テーブルごと」黒木の前にぐるっと回してきた結果、二つの「いい山」は両軍奪い合いの場になってしまった。「饅頭山が天王山になった」と司馬さんは書いている。
 
 このあとも第一軍は、そうとも知らずに世界最大の陸軍国の中核軍団を相手に、激闘連続十一日間という記録を残し、相手は最後に「ロシアは負けちょらんのに、妙なことをする」と黒木がつぶやいたように、殿のご乱心で撤退した。


 司馬評によれば、黒木軍は追撃の余力がなかった。しかし、遼陽の戦後、一時期、国債が値下がりしたこともあり、ロシア軍が整然と次の陣地の奉天に移動したのに対し、日本軍が追い討ちをかけなかったため、本来は遊軍であるはずが期せずして最前線にいた「黒木がよくない」という内部評価になってしまった。

 黒木が元帥になれず、藤井も中将止まりだった理由を、司馬さんはこのときの過酷な非難に求めている。ふつう過労と不評では士気も落ちようというものだが、続く沙河でも、そして今度は積極的に、黒木軍は最前線に立つことになる。


 ちなみに、饅頭山と五頂山の争奪戦の最中、「あんときに、おれに指揮ができるか」という理由で、黒木為腊は草はらで昼寝をしている。世界中が見ているのではなかったか。日本国債はどうする。

 その前の偵察時に大軍と衝突した秋山好古も、戦略的に逃げる訳にはいかんという理由により、なぜか酒を飲んで「旅団長殿が最前線で不貞寝をしている」という風景をつくった。


 そもそも大山閣下が、遼陽にクロパトキンが残した寝台を、「わしは昼寝が好きだから」という理由で、戦利品にしている。昼寝軍か。もっとも、戦闘中に将官が前線に来られては、むしろ部下が心配し困るだろう。

 乃木さんは、真面目にこれをやった。御大将は非常時であればあるほど、三笠の東郷さんのように鎮座しているのがいいのかもしれない。大山さんも敵のベッドごときに神経質になっていたら、見ている部下の士気にかかわる。この点、ロシアは将器という点で不運だった。





(おわり)




芸もなくいっせいに染井吉野が散った後は八重桜の天下である。
(2017年4月23日撮影)










































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