正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

蔚山沖  (第115回)

 沖ノ島の近海が、日露戦争の戦場になったのは、日本海海戦が初めてではない。ただし、通常は当該の地名として、玄界灘が出てくる。戦闘というよりも、災害に近い。一連の海難のうち、特に常陸丸の遭難が名高い。

 その名のとおり、民間商船を軍事徴用したもので、このころは陸軍の将兵を大陸に運送する任務が中心であったらしい。後の信濃丸は強敵襲来時の哨戒やら、先の大戦後に大岡昇平さんをフィリピンに迎えに行くやら仕事も増えて、乗組員はさぞや大変であったろう。


 このあたりの消息は、「坂の上の雲」文庫本第四巻の「黄塵」の章に、僅かに出てくる。わずかである理由は、主役の秋山真之もボスの東郷平八郎も、直接の関わりが薄かったからだろうと思う。ことはウラジオ艦隊から受けた大変な迷惑に関するものだ。

 厳密な定義をしらないが、第一艦隊とか太平洋艦隊とかいう名でも出てくる帝政ロシアの極東地域の艦隊は、ウラジオストクと旅順に陣取っている。日本側は東郷さんの第一艦隊が旅順口のあたりで苦労し、上村彦之丞の第二艦隊は、海賊のように出没するウラジオ艦隊に手を焼いた。

 
 映画「日本海大海戦」は、1969年制作だから、当時の私は小学生でたぶん観ていない。黒澤映画を観て育った映画ファンとしては、この両司令官を椿三十郎姿三四郎が演じているのが嬉しい。ついでに言うと、ウルトラマン世代なので、「特技監督 円谷英二」というクレジットもこの上なく嬉しい。

 この映画にも「坂の上の雲」にも、上村どんは「露探」(スパイ)だの、濃霧のせいにする無能だのと言われたい放題で、挙句に自宅にまで投石されている。乃木さんも同じ目に遭った。日本人には、こういう民族性もある。今でいう「炎上」や「悪質クレイマー」だろう。


 特にその火種となってしまったのが、ウラジオ艦隊による民間輸送船の襲撃だった。先の大戦時、私の伯父の歩兵連隊も米軍潜水艦に酷い目に遭っているだけに、他人ごとではない。金州丸、常陸丸、佐渡丸...と「坂の上の雲」にも被害者のリストが載っている。

 特に常陸丸事件は、上記の映画「日本海大海戦」でも、かなりの時間を割いた場面として出てくる。1904年6月に、ウラジオストク艦隊の巡洋艦リューリックその他の砲撃を受けた。こちらの船は実質商船で、載っているのは旅順に向かう陸軍兵と武器弾薬だけである。一方的な攻撃になった。


 常陸丸は沈没し、海没千名以上。同行中の佐渡丸も航行不能となったが、次回に述べるとおり後に戦列に復帰する。両船舶は日本郵船の所有で、常陸丸は欧州航路を運航していることもあり、イギリス人の船長ほかも犠牲になっている。
http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200506/index.htm

 2か月後の1904年8月、上村艦隊はとうとうウラジオ艦隊を捕捉する。朝鮮半島蔚山沖で海戦が起きた。当時の第二艦隊は、参謀長が加藤友三郎。「このときの上村艦隊の命中率は、奇蹟のように高かった」と司馬さんの評価も上々だが、上村司令長官は相手が「大きいから当たるのだ」と言っている。


 むしろ、このときのウラジオ艦隊の描写を読むと、確か東郷さんの言葉だったと思うが、船の集まりが艦隊なのではないというのを彷彿する働き振りである。結局、ウラジオ艦隊は戦力として消滅し、旅順もこの年末年始に落ちて、ようやくワンセットの連合艦隊は、バルチック艦隊の迎撃準備に入る。

 黄海海戦蔚山沖海戦の概要は、次のサイトでもご覧になれます。4日違いである。ウラジオ艦隊は、旅順を救いにいったのだ。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/kaijou_06_detail.html





(おわり)



日暮里善性寺のツツジ
(2017年5月2日撮影)




































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