正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

送り狼  (第120回)

 日本海海戦の直前、主力である東郷さんがいる第一戦隊や上村さんの第二戦隊は、朝鮮半島方面で待機しており、一方で、文庫本第八巻「運命の海」の章に「海戦史上、片岡の第三艦隊ほど索敵部隊としての能力を高度に発揮した例はなかった。」と書いてある第三艦隊は対馬で客を待っていた。

 ついでにいえば、出羽重遠の第三戦隊も、瓜生外吉の第四戦隊も同様の働きをしており、司馬さんは別の箇所で、これらの小舟・古船を一まとめにして「送り狼」と呼んでいる。これは、おそらく鈴木貫太郎がその自伝で、同じ表現を使っていることの影響ではないかと思う。


 送り狼だから、索敵だけではないのだ。実際、「出迎え」のみならず、主力艦隊への誘導、そして砲撃までやっている。狼王の名は片岡七郎、海軍中将、第三艦隊司令長官で旗艦「厳島」に乗っている。

 日本海海戦については、軍人が残した記録も読み始めて、ある程度は分かったつもりになっておりますが、この送り狼軍は、お出迎えが済んだあとはバルチック艦隊の後尾に回り、主力とともに相手を挟撃しているはずだ。一隻も取り逃がせない。


 もちろん「信濃丸」も「和泉」も、唆された「佐渡丸」も、お仲間である。「信濃丸」が三六式無線機で発進した「敵艦隊見ユ」の警報は、直接「三笠」に届いたわけではないようで(少なくとも第一報は違う)、片岡さんの「厳島」が取り次ぎをしたものだ。

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」でも、この電信記録には「厳島」という名が太々と書かれていた。さすが小道具。さらに「厳島」は正午過ぎにも、「敵は壱岐国」という古式ゆかしい地名で始まる追報をしており、敵の位置・進行方向・速力を伝えた。「三笠」はこれを受けて進路を微調整している。


 その「厳島」の後ろに、清国から分捕った「鎮遠」と、「松島」「橋立」の日本三景艦隊がいる。「松島」の艦上では、例の軍医さんが琵琶で「川中島」を演っていた。ちなみに「浅間」の艦上では艦長の八代六郎自らが、尺八を吹いていたらしい。ある書類に「尺八艦長」と書かれている。

 片岡司令官が旗下の第六戦隊に、バルチック艦隊の前を突っ切れという指令を出した話が「沖ノ島」の章に出てくる。本当に実行されたのかどうかまで書いていないのだが、同じころ出羽戦隊が敵艦隊を追い抜いてしまった件は出てくる。これは相手にとって目障りであった。


 出羽さんの話は次回に持ち越すとして、「坂の上の雲」で日本海海戦における日本側への最大の賛辞といえば、「死闘」の章に引用されているフランク・ツィースというドイツ人の著書「対馬」の一文だろう。

 「対馬で戦った日本人はすべて小東郷であったといっても言い過ぎではない」。小説では、これは上村・佐藤コンビの「独断専行」の場面で出てくるのだが、ほかにも中小の東郷が入り乱れて、遠来の客に迷惑をかけ始めている。


 なお、最終章「雨の坂」の冒頭に、「二十九日天明鬱陵島において装甲巡洋艦ドンスコイが日本の小艦艇群と奮闘の末自沈...」と真之が最後に海図に書き入れたという一文がある。

 この「日本の小艦艇群」は、そのうちお出ましいただく山路さんの談話によると、出羽重遠の第三戦隊と、瓜生外吉の第四戦隊である。最初から最後まで、よく戦ったのだ。




(おわり)




横須賀の三笠艦側にて (2011年10月8日撮影)





































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