正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

旅順総攻撃の数え方  (第142回)

 これから旅順戦の経緯をたどるにあたり、肝心の総攻撃の回数と数え方が分からなくて混乱している。「坂の上の雲」は、文庫本第四巻にある「旅順」の章に、第一回は1904年8月19日開始と記されている。これは他の資料も変わらない。

 また、旅順要塞を陥落させた最後の総攻撃が「第三回」で、同じ巻の「旅順総攻撃」という章にもあるように、同年「十一月の下旬」に開始されている。これも、他の文献との齟齬は無い。

 
 ところが、なぜか第二回については、それぞれ言うことが違うので、私は困る。過ぎたことで悩んでも仕方がないが、整理しないと気が済まない。司馬さんも第三回の箇所で、こう書いているのだ。

 「十一月の下旬、第三次総攻撃(かぞえ方によっては第四次)を始める」。「第○回」と「第△次」が混在しているのは、本題と関係ないと思うので横に措くとして、「かぞえ方によっては」とは何だろうか。学生時代、最初に読んだときにも不思議に思い、今も不思議に思う。


 ちなみに、司馬さんにとっての「第ニ回」は、「旅順総攻撃」の冒頭に「九月十九日」と明記されている。このときの攻撃中に、二十八サンチ榴弾砲が到着しているし、二○三高地も初めて攻めた。「坂の上の雲」では重要な戦闘です。

 そして、おそらく「かぞえ方によっては」第4となるでろう候補が、「十月二十六日にも総攻撃」と続く。敵軍に、ノギは毎月26日ごろにやってくると訝しがられたらしいが、確かに8月、9月、10月、11月の四回とも、二十日前後に開始となっている。


 では、平塚柾緒著「旅順攻囲戦」はどうか。上記のとおり、第一回と第三回は同じ。しかし、司馬さんの「第ニ回」(9月)が、こちらでは「攻撃再開」となっており、文脈からして第一回の続き。「第二回」は、これも文脈をたどる限り10月26日であり、平塚さんの数え方は「坂の上の雲」と異なる。

 なお現時点で、お馴染み「Wikipedia」は、8月が第一回、9月が第二回の前半、10月が第二回の後半、11月が第三回になっている。みんな困っているのだろうか。誰かが最初に、「11月が第三回」と決めてしまったので、苦しくなったのか。


 困ったときの神頼み、「国立公文書館 アジア歴史資料センター」ではどうか。けっこう詳しい。いきなり、第二次は「10月26日」と大書してある。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/rikujou07_detail.html

 つまり、平塚さんと同じで、9月19日は「第一次」の攻撃再開(8月末にいったん中止命令が出ている)である。まさか「四」の字は縁起が悪いという訳でもなかろうが、混乱しているのは私の頭だけではないらしい。

 
 結局、結論が出ないのだが、整理する必要があったのは、このブログが「坂の上の雲」の感想文なので、番号は司馬さん式に従うことにした。このため、他の資料との違いがあることを、はっきりさせておかないと、更に紛らわしいことになるので記録に残します。

 では、10月の総攻撃は何と呼ぼう。一戸堡塁を築いた戦いなのだが、「坂の上の雲」では「惨憺たる失敗におわった」だけで終わっている。必要があれば、「10月の総攻撃」と書きます。



(おわり)


上野公園不忍池  (2017年10月1日、今朝撮影)







































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