正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

相手は山  (第143回)

 なかなか筆が先に進まない。「坂の上の雲」の旅順戦は、極論すると、困ったことに乃木さんの出番がほとんどない。ここでいう「出番」とは、娯楽作品としての軍記に欠かせない主役の登場シーンで、古いもので例えれば鵯越とか勧進帳とか、「待ってました」の声が飛びそうな山場のことです。

 本作の陸軍でいえば、南山の奥とか、遼陽の黒木とか、黒溝台の立見や秋山のような、登場人物の個性と資質が際立つような場面が、乃木さんには無い。最高司令官に仁者がいるという前例となると、三国志演義劉備玄徳を思い出すが、要は余り戦闘の役に立たない。両名の相違点は、参謀の能力。


 その割に、乃木乃木と活字が目立つのは、詩を書いたり、歩き回ったり、伊地知参謀長にお任せであったり、児玉源太郎に振り回されたりと、どうも冴えない。何回か前に、司馬さんは乃木さんが好きに違いないと書いたのに、この取り扱いはどうか。

 間違ったかなと思っていた矢先、先月になって「歴史の中の日本」という司馬遼太郎の随筆集を読んだ。この中にある「私の愛妻記」が面白いと人に勧められたからだ。なるほど、確かに面白い。織田作の「夫婦善哉」の福田版だ。

 
 この文庫本に、「『旅順』から考える」という文章がある。このタイトルは、「編集部がそういう題をつけて、私の目の前にすわりこんでしまっているから語るわけで、多少物憂い思いがないわけでもありません」と冒頭にある。

 物憂いのは、司馬遼太郎が「旅順」というお題を与えられてしまった以上、乃木さんが主役にならざるを得ないからに違いない。だが、これまた面白いことに乃木さんについて、「私自身の好悪をいえば、ひょっとすると悪より好に近いかもしれません。」と書いている。


 おや、と思いつつ、その続きをみれば、「しかし父親や伯父に乃木さんをもちたいとは思いません。」とあり、こちらは「おや」と思う余地はなく賛成です。日常、あんなストイックなお方にそばにいられては息が詰まりそうだ。新妻の名前まで変える人だ。

 まだある。「この『殉死』を書くことによって、私の乃木さんの愛情というのは、うまく表現しがたいような心の場所で深まりました。」と微妙なことをお書きだ。司馬さんにしては妙に屈折している観がある。ともあれどうやら、「殉死」でご本人なりに、感情の整理はついたらしい。このためか、「坂の上の雲」では容赦がない。


 「坂の上の雲」に限らず、他の作品でも繰り返し述べているように、司馬遼太郎日露戦争を書くにあたり、古本屋で二束三文の値がついていた「日露戦史」という軍部が公刊した唯一の日露戦争の記録を読んだ。

 論功行賞の煽りを受けて、その本文は熟読に値せず、ただし地図は役に立ったし、地図を見ればわかるとまで言い切っている。乃木大将ご自身が、戦史の著者に圧力をかけたとは到底思えないが、あの戦死者数では、ものすごく旅順は書きづらかったに違いない。きっと司馬さんは代弁者なのだ。


 そういう訳で、というか元々地理が好きなこともあって、「坂の上の雲」文庫本第四巻の巻末にある関連地図のうち、「旅順・大連・金州方面図」を眺めるところから始めます。地図に日本軍の1904年「7月30日夜の前線」が書き込まれている。旅順を内陸側から遠巻きにしている。

 そこに至るまでの日本軍の進行は、記載された矢印の位置と太さからして、この前線までは遼東半島の北側、中央部、南側に分かれて進んでいる様子。そのうち、「肉弾」の櫻井さんが参戦した「剣山」の戦いは、南方戦線にある。金州、大連、剣山、大孤山というふうに進軍している。


 私は不明の至りで、旅順要塞というのは、中世ヨーロッパの要塞都市のように、頑丈な城壁で囲まれた一大建築物だと思っていました。日本史で言えば、大坂城のイメージに近い。

 しかし実際は、その周囲の山々を要塞化したものであって、旅順の市街地と港湾を取り囲んでいる。コンドラチェンコらは、この要塞群を飛び回っては日本軍と押したり引いたりを繰り返していたのであって、スケールの差はともかく千早城楠木正成みたいだ。平城ではなく、山城です。


 この山々は西方(地図の左側)から順に、松樹山、二竜山、盤竜山、東鶏冠山。このうち、盤竜山だけは早めに占領したが、残りの三山には最後の最後まで、手を焼くことになる。なお、二○三高地は、これらの西側(旅順市街の北西側)にある。

 このうち盤竜山と東鶏冠山の内側に「望台」という名の砲台がある。これらの要塞が、第三軍本体の目の前に立ちはだかったのが、この7月から8月にかけてのこと。8月19日からの第一回総攻撃は、この盤竜山と東鶏冠山という「もっとも強靭」な相手陣地に対し、正面攻撃を挑んだものだ。




(つづく)



上野寛永寺のヒマラヤ杉 (2017年10月1日撮影)











































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