正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

ちょっと脱線  (第148回)

 旅順の記事を一休みして、追加報告のようなもの。先日、用事で仙台に参りました。少し余りの時間ができたので、午後遅く仙台城址に行った。仙台は何回か行ったことがあるが、ここは名高い伊達政宗公の像があるのに初めてだ。

 丘の頂上にそれはある。日曜日とあって地元の人たちも子連れ孫連れなどで賑わっており、聞いていると「あれが、うちだ」とか、「○○のビルが見える」とか楽しげで、最後に「伊達さんと写真、撮っていくか」と締めくくっておられた。確かに伊達さんだ。

 うらやましい。私の田舎は静岡市で、徳川家康がその長い人生の約三分の一を過ごしており(ただし今川の人質だった少年時代と、現役を引退して死ぬまで)、このため家康所縁の地と称し、同じく銅像もある。

 あるが、地元の人に「徳川さん」とは呼ばれない。その正統性において、三河にも勝てない。さらに言えば、前回、「明治150年」をからかったのだが、今年(2017年)は政宗公の生誕450年だそうで、三倍だ。

 仙台城址を訪れた一番の理由は他にあって、このブログの第108回において「鵄」(鳥のトビ)というタイトルで、子規の「病床六尺」に出てくるトビの大きな像の話題を取り上げたことに関わる。


 この像は、2011年3月11日の東日本大震災で倒壊し、先年ようやく修復が終わったという新聞記事を読んだので興味を持ったのだが、その場所が分からない。どうやら仙台城址らしく、でも地図で見ると広い公園になっている。取りあえず、政宗公のお導きを頼りにせんと高いところに登ってみた。

 ものは試しとは良くいったもので、この鵄の像がある場所は、前掲の伊達政宗騎馬像のすぐ近くにあった。しかも大きいので、探さなくても見えた。伊達さんの筋向いのような位置にあり、その間隔も徒歩0分の距離だ。


 説明文によると、やはり仙台第二師団の関係者の方々の尽力で、当初は忠魂碑の上に建てられたものであったらしい。現在は、その高い石碑(5メートルぐらいありそうだ)の上に再建するのは大変だし、万一また落ちたら更に大変なので、前面に置かれている。

 震災前の写真と、地震直後に墜ちて壊れた像の写真もあったので、写してきた。確かにこれでは放置できまい。全長約2メートルとあったが、これはたぶん、広げた両翼を合わせた長さだろう。

 


 夕暮れどきの景色を楽しんでいたら、終バスに乗り遅れた。何はともあれ、無事その勇姿が復活しましたこと、喜ばしい限りです。最後に今のお姿を掲げて締めくくり。




(おわり)




仙台の金鵄  (2017年11月12日撮影)





こちらは、おまけ。その上空にいた本物。
(同日、同場所撮影)









































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