正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

東鶏冠山と盤竜山  (第150回)

 旅順攻囲戦の激戦地というと、すっかり有名になっている二〇三高地を思い浮かべる人が多いと推察しますが、私にとっては、東鶏冠山という名を見かけただけで気が滅入るほど、ここでの戦闘もすさまじかったという印象がある。

 その理由の一つは、櫻井忠温著「肉弾」の影響がやはり大きい。彼の四国善通寺、第十一師団がこの山の要塞攻略を担当した。総攻撃の第一回から第三回まで、ひたすら攻め続けている。第三回総攻撃の際、迎え撃つべく前線に進出してきたコンドラチェンコは、東鶏冠山で戦死した。


 櫻井さんにとっては、第一回が最後の戦闘になった。ここで体中に重傷を負い、気を失ったおかげで、とどめも刺されず救出されたが、二度と戦闘のできない体になった。本国に送還されている。ここで利き腕を失ってから「肉弾」を執筆した。お世話になりました。

 東鶏冠山は、どういう戦場だったか。同書より、少しだけ触れる。進軍するとき、心の中で謝りながら、折り重なった味方の死骸を踏んで歩く。後退するとき、再び謝りながら同じ道を同じようにして戻る。

 左翼の第十一師団は、ここで各隊が連絡できなくなるほどの損失が出た。将士の大半を失ったと「殉死」に書かれている。櫻井中尉も、上官の中隊長を失った。この状況下、同師団の一部は右隣の第九師団が攻撃中の盤竜山に向かえとの命令を受けた。

 
 この第一回総攻撃で、第九師団はロシア軍と奪い合いの連戦の末、盤竜山を占領した。それまで負け続きだった日本軍は、盤竜山占領の知らせに奮い立ったと、「肉弾」にも、平塚柾緒「旅順包囲戦」にも出てくる。

 櫻井中尉は第九師団の一群に出会った際、師団長大島久直中将を見た。その様子は、「夏ながら、上下真黒の軍服を着け、縮緬兵児帯を引き結んで、大刀を横たえられていた」。へこおび、か。第九師団の軍人たちによると、盤竜山は師団長自ら陣頭に立ち指揮したのだという。


 盤竜山の攻略も簡単に成し遂げたものではない。8月22日、第六旅団長の一戸兵衛少将は、一時撤退を考えたものの、第三軍参謀本部から「占領はまだか」という矢の催促で退くに退けなかったと、平塚さんの本にある。

 まだも何も、金沢の歩兵第7連隊は、連隊長と大隊長が全員戦死した。残った中隊長と兵二人が匍匐前進し、その場で強力な爆弾をつくり、盤竜山の敵要塞の機関銃陣地と塹壕を吹っ飛ばした。これは人間業か。

 「坂の上の雲」でも一戸さんは、どうして司令部は訳の分からない命令ばかり出してくるのかという感想を抱いたと書いてあるが、次の件もその一例なのだろう。「坂の上の雲」の「あとがき 四」に、上記の盤竜山占領のあとのエピソードがある。


 一戸旅団は8月24日、日本軍の重要な攻略対象である望台にまで達した。司馬さんいわく「戦況から考えれば夢のよう」な場所に到達した。その名のとおり、旅順市内を含む周囲を見渡せる敵要塞のど真ん中に来た。

 集中砲火を浴びて、さすがに一旦下がり、第十一師団が近づいてきたので、翌朝ともに再度、攻めて望台を取ろうとした。しかし、第三軍司令部から、理由不明の退却命令が来て、断念せざるを得なかった由。


 なお、これらの奮戦のおかげで、彼は仙台に像まで立った金のトビをあしらった金鵄勲章を受勲しているし、うちのそばでは忠魂碑を建立されるなどの栄誉も得た。写真は、左が古びた年代物だが金鵄勲章の一例(右側の勲章、本物)。右の写真が、近所の忠魂碑。一戸さんのサイン入り。

   


 戦果は、本稿の前回と今回を併せて、「以上これだけ」である。いずれも孤塁で、攻略どころか、前進したとも言えまい。6日間で一個師団に相当する死傷者を出して、8月24日、第一回旅順総攻撃は失敗裏に作戦中止となった。敵が強いのはよく分かった。そこに遼陽会戦の勝報が届いたから、たまらない。

 第三軍は作戦会議を開いた。二〇三高地の攻略案が登場する。なお、第一回総攻撃のとき、乃木さんは赤痢で苦しんでいたという説がある。司令官の食事に調理の手抜きがあったとも思えず、疲労・心労が重なってのことではないだろうか。軍司令官の中で、彼だけが地理的に孤立しているのだ。厳しい。

 
 その乃木さんに、陸軍からは旅順を早く落とし、北進して大山・児玉に合流せよという要請がある。一方の海軍は、旅順要塞は二の次で、早く旅順艦隊が全滅したことを確認しないと、来るべき大海戦の準備に入れない。それは海軍の勝手だと乃木さんは言えない。

 もしもバルチック艦隊に、日本海制海権を乱され続けたら、陸軍は本国からの補給路を確保できず、大陸で枯死する。この時期の乃木・伊地知には、日本の命運がかかってしまっている。もう若くはない。赤痢にも神経痛にもなろうというものではないか。



(おわり)




仙台金鵄の横顔  (2017年11月12日撮影)



































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