正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

誰が言い出したのか  (第152回)

 「坂の上の雲」文庫本第六巻の「黄塵」の章に、乃木司令官・伊地知参謀長の人事が決まり、1904年7月に大連に上陸した児玉が乃木と会う段階で、「伊地知が乃木を不幸にした」とまで作者は言い切り、その例として次の一節が続く。たぶん、これが本作における二〇三高地の初出だとおもう。以下、青字が引用部分です。

 たとえば、海軍が献策していたのは、「二〇三高地を攻めてもらいたい」ということであった。この標高二〇三メートルの禿山は、ロシ派が旅順半島の山々をことごとくべトンでかためて堡塁化した後も、ここだけは無防備で残っていた。そのことは東郷艦隊が洋上から見ていると、よくわかるのである。この山が盲点であることを見つけた最初の人物は、艦隊参謀の秋山真之であった。


 これが議論を呼んできた。秋山真之が、何時どのように「見つけた」のかは書いていないし、その判断材料も示されていない。確かに海から良く見えるのは、いろんな写真で確認できるし、海軍にとって重要な懸案事項でもあるのだが、司馬遼太郎がここまで断定的に書いた根拠が不明だ。

 たぶん、よほど信憑性のある具体的な資料でも新たに出てこない限り、このままなのだろうが、世界に響き渡った激戦地に着目した経緯がよく分からん、というのも、あまり落ち着きが良くない。案外、東郷さんかもしれん。双眼鏡、持っているし。


 他の資料をみてみると、「殉死」においては、第二回総攻撃の前に、「第三軍麾下の前線で死闘している第一師団の参謀長飯田俊助から、『二〇三高地ならとれそうです』という現地偵察の結果報告があり」、乃木司令官が兵の一部を二〇三高地に割こうと言い、伊地知参謀長が承知したということになっている。

 もっとも、この飯田さんの報告は、いきなり出てきたものではなく、「殉死」ではその前段に、旅順口で難戦中である連合艦隊の「艦隊参謀たち」(真之個人の名は出ていない)がその戦術的価値を発見し、献策したと書いてある。伊地知が一蹴したため、大本営経由で山縣から児玉に伝わった。


 これとよく似た話は、平塚柾緒「旅順攻囲戦」にも出てくる。第二回攻囲戦の前、9月5日に第三軍が各師団の参謀長会議を開いた際、名前が違うのだが「第一師団長の星野金吾大佐」から提議があり、当面の目標を旅順艦隊の撃滅とし(要塞はその次)、ついては二〇三高地を観測地点とすべく奪取するという方針だった。

 いずれにしても、第二回総攻撃の対象に、二〇三高地が選ばれたのは、高崎山を占領して同高地を目前に見ている第一師団からの献策ということになる。身内からそういう提案が出たことで、乃木さんも砲術専門家の伊地知どんを説得しやすくなったのかもしれない。


 言いだしっぺが誰なのかは、今の私にはこの程度のことしか書けないのだが、少し先の第三回総攻撃において、引き続き秋山真之が、連合艦隊代表で二〇三高地の重要性を説いている資料がある、

 しばしばお世話になっている「国立公文書館 アジア歴史資料センター」のサイトに、日露戦争のコーナーがあり、その中の「第3回旅順総攻撃」の資料集のうち、「関連資料3」として、「旅順攻囲軍参加日誌其2(1)」という手書きの日誌がある。詳細は以下のとおりで、連合艦隊から第三軍に派遣されていた士官二名の記録。海軍省の資料です。


 旅順総攻撃の第一の目的は、旅順要塞の攻略によってロシア海軍第一太平洋艦隊を撃滅することにあったため、陸軍の第三軍と海軍の連合艦隊が連携をとる必要がありました。 その一環として、連合艦隊司令長官東郷平八郎の命を受け、第三艦隊参謀の岩村団次郎中佐と伊集院俊大尉の2名が第三軍の司令部に派遣されていました。『旅順攻囲軍参加日誌』は、この2名が第三軍の旅順総攻撃に参加する中で記した日誌です。

 49〜52画像目には、11月6日付の記録があり、この中で、連合艦隊参謀の秋山真之からの書信の要旨が記されています。 これによれば、秋山参謀は、203高地もしくは鶏冠山方面の旅順港内を見渡せる地点を占領する見込みがあれば(旅順要塞は)陥落するだろうと考えているのがわかります。


 この資料の1904年11月6日付の記事に、上記の真之からの書信が転載されている。PDFの五十枚目にあります。三段落あって、一つ目は挨拶のような文章。二つ目が面白くて、上記にもあるが旅順湾を凝視できる地点として、二〇三高地または東鶏冠山の名を挙げて、占領してくれと依頼している。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/image_C09050758700?IS_STYLE=default&IS_KIND=detail&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=C09050758700&

 三つ目の段落も切実で、旅順艦隊の「セワストーポリ」と「バヤーン」が「腰を抜かした」という件(沈没か擱座のことか)について、諜報の結果はどうかと尋ねている。スパイ大作戦。さて、時間を元に戻して、第ニ回総攻撃の話題。




(おわり)



名取駅前の秋海棠
子規が好きだった花
(2017年11月13日撮影)










































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