正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

謹賀新年  (第158回)

 明けましておめでとうございます。右は元旦に遠くから撮影したアオサギの写真です。

 本年は明治150年ではなく、平成30年ですので、どうぞお間違いなく。前にも書いたかもしれないが、明治時代は、大学の経済学部のゼミで習ったことによると、計算の仕方によっては「胡麻の油と百姓は」などと放言していた江戸時代よりも、重税であったらしい。

 それはそうです。富国強兵をスローガンとして始まった時代ですが、なんせきっかけがロシアやアメリカの黒船ですから、「富国」よりも「強兵」のほうが緊急事態でした。四民平等はいずれ経済効果もあるだろうが、それよりサムライだけだった軍人を、四民平等に徴兵できるようになった。以後、戦争ばっかりです。


 司馬遼太郎が「ばっかり」でもないという時代の、力強く明るい側面を描こうとしたのが、「坂の上の雲」だと昔も今も思っています。しかし、これまでも書いてきたことですが、そして、これからも何度でも書きますけれども、これを曲解・悪用しようとしている者が増えたという実感がある。

 これがまた両極端おり、片方は全面否定をしたがる連中で、かつて司馬さんが「あとがき」で、「乃木信者」と仮称した人たちを更に悪質にしたようなのが、特にネットにはびこっている。「坂の上の雲」の随所にある昭和の軍国主義時代への強烈な批判が、我慢ならないらしい。


 たいてい匿名で説得力に欠けるが、後世の若者にどういう影響が出るのか、見当がつかないところが怖い。更にもう一方は、もっと狡猾であり、本作のごとく明治は素晴らしく、ついては、その昔に戻りましょうと主張する人々の跫音が聞こえる。

 こちらは、うちから千代田線一本で行ける国会議事堂や、永田町のあたりで堂々と語っております。その中には特に、ご本人も気付いていないのか、明治100年記念で執筆された「坂の上の雲」で、ほとんどが余り良く描かれていない長州藩閥の自称出身者も含まれている。


 司馬遼太郎は、生前この代表作の映像化を固く拒んでいたらしい。その文章を読んだことがないので、「らしい」としておくのだが、そう言い続けていたに違いないと、私も思う。ここで何度か引用したNHKスペシャルドラマで、誰かが原作者の遺志をないがしろにしたはずだということだ。

 それでも、まだ当時のNHKは、日清戦争のあたりで近隣国に配慮している。従軍が決まって喜ぶ子規に、母お八重がかけた言葉。占領地での乱暴な行為に、抗議していた子規。これすら気に入らないと、NHKの「偏向」を攻撃する者がいた。特集号を何冊も出した文藝春秋も、戦争話ばかりだ。手元にあるので、いずれご案内します。


 この手の「文学・芸術の軍事利用」は、古今東西、枚挙にいとまがあるまい。小学校のころ私が好きだった太平記楠木正成は騎馬像となり、徴用の時代も無事に過ごして皇居あたりに立ったままだ。ゲリラのリーダーが魅力なのに、何が大楠公か。足利尊氏のほうが勝ったではないか。

 このブログは、「近所に住んでいた子規」と、「すでに大昔となった平家物語のように、活劇として面白い坂の上の雲」を楽しむために始めたのに、下手をすると国粋主義者だと勘違いされかねない世の中になりつつある。一人でも、少しでも、良い年にするのがこの一年の元旦の計です。





(おわり)




ご近所の屋根越しに見た初日の出  
(2018年1月1日撮影)


































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