正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

第二回旅順行  (第164回)

 我が家のAI「アレクサ」によると、司馬遼太郎は「日本の小説家、ノンフィクション・ライター、評論家」だそうだ。上手くまとめたな。「坂の上の雲」は、「あとがき 一」で作者自身が、小説と呼んでいる。確かに、松山や大学が舞台になっている最初のうちは、かなり自由に創作を交えることができる。

 しかし、政治と戦争が中心になり始めるとそうはいかず、ノンフィクションに限りなく近づいていくことになる。いつものとおり、ときどき文中にご本人が現れて、評論も行う。さはさりながら、会話や表情や動作といったものは手作りであり、小説家の腕の見せ所。


 文庫本第五巻「二〇三高地」の冒頭は、児玉源太郎満洲参謀本部の戸外で立小便をする場面から始まる。児玉のところには、歯切れの悪い乃木軍の報告が届き続けている。彼は「旅順で、無益に殺されていく兵士たち」を思い、泣きながら用を足している。

 足し終えてから次の場面では、本部の大部屋ではなく個室に入り、彼についている「二人の文殊菩薩」たる井口省吾と松川敏胤のうち、「猛攻型で積極的」な松川を呼んだ。ちなみに、この時点で松川は大佐、井口は少将だから、上席者を呼んだのではない。


 二〇三高地の戦いの分かり辛さは、その重要な議論や決断が、しばしば密室で行なわれていることにある。公式記録どころか、当人が書き残さない限り、私文書もない。書き残せるような話に、密閉空間は不要だ。

 後の旅順における乃木と児玉ふたりだけの会談がその典型だが、この章でも児玉と松川、続いて大山と児玉の内緒話が出てくる。これは作家ならずとも、歴史家も脚本家も読者も、自分で想像するほかない。ここでは小説「坂の上の雲」の感想文なので、そのまま司馬説を採る。


 前後の記述からも分かるように、作戦に関しては松川の出番が多い。そういう意味では呼ばれておかしくない人選なのだが、個室に招じ入れられたとすれば、他の人に聞かれたくないからで、つまり「猛攻型で積極的」な参謀を、無理やり説得するのが目的だろう。私が松川さんなら、部屋に入るとき「来るな」と思う。

 来た。児玉はまた旅順に行くという。1904年の11月下旬、氷雪に閉ざされた満洲平野では、沙河の会戦が終わったばかりだが、松川は積極論者であったと書いてある。こちらの勢いと敵の油断があれば、勝算あり。ところが、総参謀長がまた出張するとあっては、その間も困るし、前回は戻って来てからも困った。

 
 複雑で大規模になった近代戦の実施体制は、中枢において組織上も役割も、軍政と軍令が明確に分かれる。戦場においては、司馬さんの言葉遣いでいうと「戦略に、政略が入ってはいけない」という「軍事学の常識」なのだが、「児玉は平気で無視する」。

 彼は政治も軍事も実績豊富で、政治家としては陸軍大臣、内務大臣、台湾総督まで既に務めている。かといって、日露戦争の人事では総参謀長であり、戦場の軍令・戦略の責任者だ。このため、参謀で部下の松川たちは、政略交じりの児玉の判断と行動に振り回されている。しかも、今回はトップ・クラスの人事問題でもあった。


「前回同様、督戦にゆかれるというなら、全く無意味です。乃木司令部にご不満がおありなら、乃木軍の副参謀長(あとで騒動に巻き込まれる大場二郎中佐)でも、およびになればよいではありませんか」
「そんな悠長なことをしちょられるか。いまのままでは、乃木が両手に抱えている兵隊はみんな死んでしまうぞ」
「かといって、総参謀長閣下が、定位置を離れて良い理由にはなりません」
「前回は督戦だ。こんどは督戦じゃない」
「では、なんでしょう」
「乃木のかわりに、第三軍を指揮しにゆくのだ」


 これでは部下も大変だ。松川は、司馬節ならではの表現で、「事の重大さに一瞬ぼう然となった」。交戦中の軍隊という、国運と多くの生命がかっている組織においては、その秩序と指揮命令系統は、毫も乱してはならないものだ。松川参謀は上司に改めて初歩を説明するのだが、「まちがっちょる」、「わかっちょる」と話にならない。

 他の人をお遣りになれば、という代替案を出すのだが、自分でなくてはダメだという。出身の藩閥と長年の付き合いがなければ、成立し難い談判にいくのだ。日本の歴史物語は義経と弁慶忠臣蔵のような、儒教の概念でいうと「忠」の物語が好まれるのだが、本作もふくめ司馬遼太郎は、友情という言葉をよく使う。本件の第一段階において必要なのは、組織論というより、感情の整理なのだ。


 このコーポレート・ガバナンスと、現実問題の解決という相矛盾する事態の止揚策は、「貴官がゆけば乃木に噛み殺されるぞ」と予言された松川の口から出ている。「ゆかれる以上は、総司令官閣下のご自筆の命令書を懐中にして南下されることを、おすすめします。」

 総司令官閣下とは、先の沙河会戦において、「児玉サン、今日もどこかで、ゆっさがごわすか」と昼寝の目覚めに訊いてきたという、陸戦場の総責任者である大山巌で、当地では唯一の児玉と乃木の共通した直属の上官だ。その全権委任になるしかないというのが、松川案であった。ドアを叩くと、「がま坊」は居た。起きていたらしい。



(おわり)


東京は一月後半から二月にかけて雪が降る。
忠臣蔵も雪景色なのは、新暦で一月下旬だった。
(2018年1月22日撮影)

































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