正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

竹矢来  (第169回)

 写真は近所の竹矢来です。わざわざ説明用の看板まで立てているのは、このような昔ながらの建築物なども見せている公共施設だからだ。

 この「やらい」というのは、「あっちに追いやる、近寄らせない」というような意味で、この程度の低さでも、人や犬が自宅の近くでウロウロしないくらいの遮蔽物にはなる。


 旅順はこの竹矢来でも組んでおけば大丈夫だと言ったのが後世に伝わってしまうとは、悪い癖で児玉源太郎の口の軽さだった。日清戦争・三国干渉後に、十年の月日をかけて、日本はロシアとの戦争の準備をしたはずだ。海軍は艦隊を一新し、火薬や無線機を開発し、訓練方法を工夫してきた。

 その性格上、陸軍は海軍以上に戦場がどの辺になるか、見当がついていたと思うのだが、どうだろう。この点、海軍の参謀は最後の最後まで悩んでいるが、陸地は動かないし、国も引っ越さない。福島や広瀬がシベリアを横断するほどの行動力があるのだから、いくら敵地とはいえ、何とか調べようがなかったのだろうか。現地人の密偵とか、買収とか、イギリスの力を借りるとか。


 今だから好きなことが言えるので言っている。もっとも、開戦前は児玉の責任が重かったとはいえ、敵情の調査・分析は、1904年7月以降は乃木軍の仕事だろう。「坂の上の雲」は兵の犠牲をもって、その不出来を責めており、人道的にそれはその通りとして、そもそも参謀の職務怠慢というのが児玉の判断だ。

 そうとなると、児玉閣下は現地軍の総参謀長なのだから、遠くの旅順とはいえ、日本にいる一般人から見れば大山総司令官ともども「何をしている」と、私なら思う。国中で葬式が続発していたはずだ。


 だから、叱り飛ばしにいくのは、陸軍大将でもあり、決して職権乱用ではないと思うが、乃木司令官の代わりに命令を直接下すとなると、話は別だ。この点は本当に、乃木さんの出方次第だろう。

 ということで、長く険しい話になることを前提に、児玉は乃木との二人だけの会談を望んだ。強引に会場まで設定している。この秘密会議の前後は、「坂の上の雲」の描写がたいへん具体的で、おそらくお付きの田中さんや、乃木将軍の副官などが書き残し、語り残したものなのだろう。


 だが、肝心の会議は二人だけの密室空間で、田中参謀も外でテントを張って待たされている。このため、小説家も脚本家も、ここは好きに書けるし、腕の見せ所です。この後の展開とうまくつながらないといけないという条件付き。

 司馬遼太郎は、この場面を友情論で始め、「詐欺」で終わらせている。乃木さんは、静かに受け入れた。自らの采配で次男を失った直後ということもあり、精魂尽きている感じである。


 個人的な好みで言えば、私は映画「二百三高地」の仲代・乃木と、丹波・児玉の会話が現代的でわかりやすい。幕末維新以来の同郷で戦友という、人間関係や情緒の部分を否定するつもりは全くないのだが、それだけで、こうなるかなあと感じる。司馬さん自身が強調しているように、乃木は面子の人だ。
 
 映画では、丹波哲郎の説得において、乃木軍の北上が遅れると満洲の全陸軍が負けるという、言葉にすると半ば脅しに近いが、嘘でも何でもない深刻な事実と、そしてこれが大事だと思うが、乃木への期待も伝えているのだ。


 どうやら児玉源太郎は、大山総司令官から預かって来た全権委任状を見せずに済んだらしい。第三軍に対し、児玉に指揮命令権はないが、隣で乃木さんが座ったまま黙認していれば、効果は同じことになる。例えが拙劣で恐縮ですが、風景としては腹話術のようなものだ。

 徳がない者がいくら正論を述べても、人心は離れるときには離れる。明治天皇大山巌は乃木の更迭に反対し続けたとのことだ。そうすると乃木が死ぬからという面も勿論心配だったのだろうが、逆の例を見れば、このあたりの平仄が凡人の私にも多少は推察できる。ニコライ二世のクロパトキンへの仕打ちは、戦後までお待ちいただかなくて助かった。



(おわり)



元陸軍元帥 大山巌像 九段
(2018年2月9日撮影)





























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