正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

乃木神社  (第170回)

 乃木神社に行ってまいりました。私は乃木信者ではないが、日本の神社は別の宗教だろうと無宗教だろうと、出入り自由だ。そのはずだ。断られたことがない。パキスタンのモスクで、ムスリム以外はお断りと言われて、建物の中に入れてもらえなかったのとは大違い。もちろん、これは信仰の問題であって、寛容とか開放的とかいう倫理的な話ではない。

 この点、寺院は(ここでの話は、現代の神社や寺院です)、奈良京都のように拝観料という妙な金を取ったり、お墓がある一般の寺では、この先、檀家以外はお断りなどと書いてあって、不真面目な客を許さない。私のように、日常的に神社に散歩している者でも、寺院は何となく入り辛い。


 なんといっても八百万神が、そこら中にいるとされる国だから、排他的になりようもない。かたや神社は綺麗な砂が敷き詰めてあり、清掃も行き届いているのだが、他方で御守りやら絵馬やら、おみくじやら何やら、商売熱心であられる。客も現世利益を求めてくるから、需要と供給のバランスが良い。

 私は、あの「ゆるキャラ」というのが嫌いで、子供相手ならともかく、そればかりでもないらしくて至る所にある。わが警視庁まで、ピーポくん乃木神社にも、あった。まあ、どこからどうみても乃木さんの画だし、上記のとおり、ある種の猥雑さというのは、神社ならではのものだから良いか。お祭りでふんどし姿になって神輿を担ぐお国柄だから。


 乃木神社は、他の地域にも複数あるらしいが、今回お邪魔したのは、いわば本家本元の東京の乃木神社で、なぜなら隣接して乃木夫妻が最後に暮らした家や馬小屋などがある。住処の横で神様になったというのも、そうはあるまい。赤坂や六本木という騒々しい地区に囲まれているが、静かであった。

 東京の神社仏閣は、五年ほど前だったかパワー・スポットがブームになったころは、かなりマイナーな(失礼かな)神社でさえ、若い人で溢れ返っていて驚いたものだ。最近では、パワーの配当が良くないのか、それらしき人たちは少ない。


 さらに、三年ほど前だったか、今度はポケモン・ゴーだか何だか知らんが、仮想空間の幽霊が現実の世界で見つかる場所として注目され、近所の上野寛永寺など、一時期は大変なバカ騒ぎになった。こちらも、落ち着いてきたようだ。
 
 そういう訳で、乃木神社にお邪魔した日は、春三月の日曜日の昼であったが、それほどの人出でもなく、とても静かで良かった。境内に踏み込んだ以上は、ちゃんとお詣りもしてきました。左の写真は、入り口近くに立っている灯篭で、この四つの四角形の組み合わせが、乃木家の御紋。


 乃木希典が、先祖を佐々木源氏とし、氏神さまである近江の沙々貴神社への参拝を欠かさなかったことは、いつか書いた覚えがある。この話題は小説「殉死」に出てくる。彼が神になった今、どういう力関係になっているのだろう。

 佐々木源氏の家紋のうち、特に名高いのが目結紋で、乃木家もその基本パターンである、正方形四つのバージョンです。やはり全国の佐々木さんにはこれが多く、近所の谷中霊園でも良く見かける。佐々木小次郎もお仲間。日露戦争関係者では、大山巌がこの目結紋です。

 ちなみに、うちの姻族も佐々木源氏の子孫であると主張しており、これが奇跡的に事実ならば、乃木さんと親戚ということになる。ちなみに、「尊卑文脈」では確かに、「野木」という一族が、佐々木源氏から枝分かれしている。


 今回は特段の用事があって参ったわけでもなく、こういうブログを書いていることだし、いつか挨拶に行きたいなと思っていたのを実行しただけだ。乃木さんなら、「そうか」と微笑んでくれそうではないか。東郷神社に伺うときは、もう少し真摯にふるまわないといけない感じがする。

 お祭りしている神様はけっこう多くて、例えば師の玉木文之進も、兄弟子にあたる吉田松陰も、横手に祠がある。主神は乃木希典と、妻の静。女神のお静さんは、夫希典に殉じたという理由付けになっている。乃木さんは軍神ではないのだ。あくまで、明治天皇に殉死したという一事を以て、夫婦相和し神様になった。


 例えば、軍神にするなら、亡くなってすぐに祀るのが自然だと思うのだが、乃木神社の創建は死後十年以上、経過してからだ。その節は東京市長が走り回ったらしいから、時代背景を感じる。大正デモクラシーが終わるころだ。

 小説「殉死」には、明治天皇の大葬の朝、乃木夫妻が正装して写真を撮るシーンが出てくる。乃木希典は陸軍大将の服装で、老眼鏡をかけ新聞を読み上げながら撮影したらしい。奥様は右後ろにたたずんだ。その写真が乃木神社にある。


 私が持っている「殉死」の文春文庫の作品紹介には、”軍神”と書かれているが、違う。仮に軍神なら、ともに祀られているのは、むしろ妻女ではなく、二人の息子であるはずだ。乃木信者は、乃木さんの向う側に、現人神をみている。信仰の自由は大切なものだから、私は否定も非難もしないが、信者仲間にはならない。

 帰りは、乃木坂の下りを赤坂まで歩いた。もしも途中で右折して麻布方面に向かえば、すぐのところに毛利藩邸があった。彼は、そこの武家の長屋で生まれ育っている。



(おわり)



乃木神社の梅  (2018年3月4日撮影)




































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