正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

博物  (第185回)

前回以来、ときどき子規の「仰臥漫録」を読んでいる。他の随筆集と異なり、新聞日本の記事ではなく、公表するつもりがなかったはずの日記のようなものだから、絵が描いてあったり、食い物や病状の話、果ては妹お律の悪口まで、話題を問わず書いている。漫録の所以です。

仰臥のほうは、うつ伏せになるのも無理らしく、晩年の子規はずっと仰向けで寝込んでおり、閉じた半紙に書いているとあるので、どうやら自分で作った冊子を上に抱えて、文字や絵を、墨と筆で記録していたらしい。


彼と私の共通点らしきものといえば、自宅が近いことと(時代は異なるが)、博物が好きだという点です。博物学者というのも絶えて聞かないが、専門が細分化したため、もはや学問ではないということなのか。理科の科目で言えば、生物と地学のことで、目に見える自然です。

従って、万有引力とかビッグバンとか相対性理論とか量子力学などは、眼中にない。ドリトル先生博物学者だった。寝たきりになったあとの子規の世界は、大別して、家族や友人や衣食住に関わるものと、寝床から見えたり聞こえたりする博物だった。


特に彼が好んだのは、植物でいうと花と実、動物でいうと鳥と虫。まさに頻出する。子規庵のお馴染みは、なんと申してもヘチマです。そして、彼が特に好んだ植物に鶏頭がある。上の写真は、その子規庵で撮影したもの。鶏頭もすぐ近所の園芸です。いずれも最近、たまたま撮った写真ばかり。景色は余り変わらないのだ。

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虫は声の代表が蝉、姿の代表が蝶です。大きな蝶が好きだったようで揚羽(アゲハチョウ類)や、「山女郎」(すごい名前だが、クロアゲハ類だと言っている)がときどき出てくる。亡くなる前の年の夏だ。

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さて、最後に一つ、前から謎だった「ジャガタラ雀」について。辞書にもネットにも出て来ない。籠に入れて飼っていたと書いているし、スズメ大の小鳥であることは間違いあるまい。どうやら、しっかり閉じ込めていたのではなかったようで逃げ出した。ということは、手乗りの類か。

スズメの仲間は、舶来の種目名でいうと、ダーウィンが進化論を思いついてしまったフィンチ(彼は地質学者として、ガラパゴスに行っている)。ジャガタラとは、インドネシアのジャワのことで、ジャガイモのことを子規はジャガタライモと呼んでいる。


以上の断片情報をつなぎ合わせ、かつ根岸の神社で偶然見つけて撮った小鳥、これは私が子供の頃よく飼われていたキンカ鳥だろう。オレンジのクチバシが特徴的。これが子規のいうジャガタラスズメと断定できる材料はないけれど、当面の候補として写真をアップします。

キンカチョウは東南アジア原産らしいので、有力候補であります。ついでに、子規は朝顔や夕顔も好きだったので、隣町、入谷の朝顔市の露店風景も載せて今回は終わりです。

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(おわり)