子規とベースボール (第188回)
上野の彼岸花です。毎年、判で押したようにお彼岸に咲くのだが、今年は台風のせいか、残暑が原因が、この辺りでは少し遅かった。また、赤の方が白より早く咲くように思う。
さて、正岡子規の野球好きについては多くの人がもう書いているし、野球殿堂入りまでして世間にも知られていると思う。今さら付け足しも何だが、近所に住んでいるので、いっぺん話題にしたい。
彼が特に詳しく書いているのは、随筆「松蘿玉液」においてです。「しょうらぎょくえき」と読み、岩波文庫の解説によれば、愛用の中国産の墨の名前らしい。ブランド名です。
明治大正の文豪というと万年筆で原稿用紙というのが、私の勝手な印象ですが、どうやら子規は、ひたすら筆のようだ。ときどき手書きの字や絵が印刷されていますが、総じて筆書きです。もっとも晩年は満足に手も動かず、口述筆記をしている。
「松蘿玉液」の記事は明治二十九年で、まだ、野球という訳語がなく(すくなくとも普及しておらず)、子規は「ベースボール」と表記しており、最後のあたりに、競技名のみならず、各種用語も「いまだ訳語なし」と書いた。
このため、全文にわたり、よく知られているように彼の「創意」で仮訳された言葉で語られ、その多くは打者、走者、飛球といったように、現在でもつかわれていたり、写生の人だから見ればわかる言葉になっている。ベースは、ざぶとん。
改めて読んでみて、感想を一つ。私たちは、攻守交替する野球という競技のそれぞれの局面を、「攻撃」、「守備」と呼ぶ。多くの人は攻撃の時間帯が好きで、応援団も攻撃のときがにぎやかだし、守備の時間に買い物やトイレに参ります。
されど野球は、ピッチャー(子規は投者という)で7割が決まるなどと申します。主役は投手であり、その主たる出番は、守備の時間帯なのだ。みんな本質は肌で感じているのか、「打ち取った」なんて言います。
子規の説明文を読んでいても、ボールは常に守る側にあり、というようなことが書かれていて、バッターやランナーは、バッテリーが投げ合う球のやりとり(いわばキャッチボール)の邪魔をする役割と解している印象がある。
まっさらな目で野球を見ると、そういう光景になるのかという新鮮さがあります。子規は寝込んでも文学を続けましたが、残念ながらベースボールだけは、そうはいかなかった。もう少しやらせてやりたかったものです。
(おわり)
上野恩賜公園の正岡子規記念野球場
(2019年9月22日撮影)
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