正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

書道博物館  (第91回)

 今回は地味な観光案内のような記事です。しばらく前に話題にした子規の友人、画家・書家の中村不折が創設した書道の博物館。現在は東京都台東区が所有・運営しているため、正式名称を「台東区書道博物館」という。同区のサイトよりご案内。http://www.taitocity.net/zaidan/shodou/

 場所は子規庵の筋向い。徒歩ゼロ分。入場料は書道博物館も子規庵も、500円(2016年9月現在)なので、両方とも行けば千円コース。ざっと回るだけなら半日で両方とも巡ることができる。書籍や土産物なども、それぞれ売ってございます。



 今年は書道博物館に、二回行った。いずれも、特別展を開催していた。それも、王羲之顔真卿の展示だったから、すごい。今さらながら、書が芸術の偉大な一分野であることを、しみじみと感じ申した。

 博物館も子規庵も、不定期に特別展を開催しているので、休館日の確認もしつつ、日程を組むことをお勧めする。それから、そんなに遅い時間まで開いていないのでご注意を。上野の博物館群のような大混雑はないからご安心。


 かつて、中村屋のロゴが不折の作であることに触れた記憶があるが、このたび博物館に行って、もう一つ、情報を仕入れて来た。「信州一味噌」も彼の作品だ。

 私と同世代か年上の方々ならば、テレビのコマーシャルに出て来た娘さんの絵と、素朴なCMソングをご記憶のことと思う。不折は信州の出身である。この博物館は書道だけではなくて、こういう不折ゆかりの品とか、彼が中国大陸で収集してきた古物などもそろえている。


 不折が子規と共に、日清戦争に従軍したことは、「坂の上の雲」には出てこないのだが、子規庵のサイトほか幾つもの資料に出てくるので間違いあるまい。おそらく、子規が新聞日本の従軍記者で、不折は今なら従軍カメラマンなのだろうが、当時は何といったのだろう。従軍画家? まあ、記者であることに変わりはないか。

 しかし、二人は一緒に帰国したのではないと思う。不折は博物館の展示にも書かれているように、従軍の仕事を終えた後も清国を旅し、上記の収集にあたるなどして書の造詣を深めた。画家から書家へと変わっていった時期である。子規が後日、不折は習字ばっかりやっていると、どこかで書いていた記憶がある。


 子規は、この中国大陸への念願の旅に際して、私が知る限り二本の旅行記を書いている。どちらも、楽しく笑って読めるというものではない。清国での出来事は「従軍紀事」に、また、帰国の船中と上陸後の療養については例の「病」に詳しいが、不折は出てこない。たぶん、大陸で別れたのだろう。

 書道博物館は、後に増設されたらしく、二つの建物が渡り廊下でつながっている。その脇にある庭が好きで、時間の許す限り、そこでのんびり過ごす。今年初めて行ったのは4月で、子規が好きだった山吹の花が咲いていた。それも珍しいことに、白い花の山吹であった。今でも根岸や日暮里は、桜のあとに山吹が方々で咲く。




(おわり)




白山吹  
(2016年4月10日、書道博物館にて撮影)





































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