2016-01-01から1年間の記事一覧
川中島といえば頼山陽だ。上杉軍は鞭声も粛々と、夜、千曲川を渡る。暁に見る武田軍、一千の兵。鴨緑江で名を馳せた常勝将軍、黒木為腊がこれを遥かに超える規模で、渡河に挑戦することになる。 私はこの黒木さんが好きで、いつか紙面を割いて、もっと詳しく…
前回話題にした琵琶の逸話は、おそらく司馬さんも吉村さんも読んだであろう出典らしきものの名前を見つけた。あいにく、その現物を探し当てたわけではないが、「敵前一曲の琵琶」と題して発表されたものであるらしい。 その「大要」が国立国会図書館に収めら…
先月、新潟の温泉に旅行に行ってきた。関東から行く場合、国境のトンネルを抜けると越後の国である。山が深い。上はその温泉郷で撮った写真です。越後といえば上杉謙信。 先週、長野の松本に出張に行ってきた。関東からは北回りの長野新幹線(今は北陸新幹線…
今回は地味な観光案内のような記事です。しばらく前に話題にした子規の友人、画家・書家の中村不折が創設した書道の博物館。現在は東京都台東区が所有・運営しているため、正式名称を「台東区立書道博物館」という。同区のサイトよりご案内。http://www.tait…
別件で忙しく、こちらのサイトをしばらく休んでいます。今日は天気が好く、かつて子規が散文に写生していたとおりの雲と空が拙宅からも見えましたので、書き残しておきたくなりました。写真の真下のビル街に、かつて子規や家族が住んでいました。本日撮影。 …
前回、どこで読んだか覚えていないと書いた不折の住まいに関する子規の一文は、あっさり見つかった。「ひとびとの跫音」の「子規旧居」という章に出てくる。折レ曲リ折レマガリタル路次ノ奥ニ折レズトイヘル画師ハスミケリ。中村不折は先ず絵、続いて書で名…
丹精こめてという言葉が好きで、こういう日本語は大切に後世へと伝えていきたい。そんな気持ちでいるためか、最初に「子規居士丹青図」という絵をみたとき、子規が丹精込めて絵を描いているという意味だと思った。間違いでありました。 手元に何冊かある子規…
熊本の地震で被災された皆さまにお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。しかも、最初の震度7が前震と言われているほど、もっと大きな揺れが今朝、未明にあった。震源地が少し離れているようで、私にはどちらも本…
小欄では、乃木さんだの東郷さんだのと馴れ馴れしい感じで気軽に書いているのだが、奥保鞏陸軍大将は、その伝でいくと奥さんになってしまう。どうにもならない。その奥さんについて、司馬さんは文庫本第四巻「遼陽」において、「南山の奥」とカッコ付きの表…
櫻井忠温著「肉弾」の第五章「上陸の危険」によれば、後に紹介する第二軍の報告にも出てくるとおり、軍隊の行動に支障をきたすほどの悪天候の下、著者の属する連隊は上陸を果たした人数だけでも、この地で最初の露営をすることになった。ところがその夜、南…
ホトトギスという鳥は、なぜそう読めるのか分からない漢字の名前をいくつか持っている。正岡子規は大喀血をしたとき、「坂の上の雲」にも出てくるように、口の中が赤いため血を吐くまで鳴くといわれる「子規」を号とした。柳田国男は「遠野物語」で、ホトト…
しばらく「肉弾」の話題が続いたので、ちょっと趣向を変えてみます。徳冨蘆花の話題を出すのは、彼の小説「寄生木」を読み終えてからにしようと思っていたのだが、最近、別件で世田谷に行った際、少し時間があったので芦花公園に寄ってみた。そのときのこと…
櫻井少尉が「肉弾」に記すところによれば、彼らの連隊が乗船した鹿児島丸の行き先は、連隊長と船長の二人しか知らなかったらしい。尉官かつ連隊旗手の職にある著者すら教えてもらっていなかった。そういうものなのか。 口が軽い兵とか、万一敵に通じている者…
櫻井少尉の連隊は、1904年5月21日に出陣し、その日の暮れには「馬関の海峡」すなわち今の下関沖を通過した。そして数日をかけて、対馬沖の日本海を渡っている。ちょうど一年後の五月に、海軍の一大決戦場になるところだ。 このころの陸軍は、黒木第一軍が朝…
松山の歩兵第22連隊が属する第十一師団に動員令が下ったのは、1904年の4月であるらしい。「肉弾」の「第三 征衣上途」には、動員下令から殆ど一か月が経ったという5月21日に、著者の連隊が出征した場面が出てくるからだ。この間に兵士や家族たちに起きていた…
明けましておめでとうございます。今回も余談から始めます。今年は健康回復が目的の一つなので、新年早々、初詣のため近所の神社を歩いて回りました。これだけお詣りすれば、どれか一つくらい、願いを聞き入れてくれるであろう。しかも、各神社共に複数の神…