正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2018-01-01から1年間の記事一覧

二十八サンチ榴弾砲  (第180回)

以前も参考文献にした「日露戦争秘史」(朝日新聞社編)を、今回も、現代かなづかいに置き換えつつ引用します。公刊戦史ではないが、実戦経験者の話だから貴重だし、座談会だから大嘘はつけまい。その前に、今回の話題である二十八サンチ榴弾砲について、「…

詩会  (第179回)

句会という言葉があるのだから、詩会も当然あるだろうと思っていたのだが、検索しても引っかからず、どうやら一般的な言葉ではないらしい。造語かなあ。今回は、戦争の話は一休み。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」の「あとがき 一」を、「小説という表現形式の…

オイ田中  (第178回)

「坂の上の雲」の文庫本第五巻「二〇三高地」に出てくる児玉源太郎の「田中ァ、何をぼやぼやしている」、「おぬしは外国の観戦武官か」という癇癪玉の破裂は、その前段の続きのはずなので、時は1904年12月5日、場所は「二〇三高地のちかくの丘」であるはずだ…

最前線  (第177回)

12月1日の作戦会議というか児玉の独壇場の最後のところで、児玉源太郎は先任参謀の大庭中佐に対し、前線へ敵情視察に行けという命令を下している。伊地知は外された。 明日自分も行くから、そのとき報告せよと言われては、行かねばなるまい。大庭以下三名は…

柳樹房  (第176回)

明治三十七年(1904年)十二月一日は、児玉源太郎にとって多忙を極める日になった。このブログで前回、「坂の上の雲」は「先の大戦批判でもある」としつこく書いたのは、今回の児玉の出張も、そういう観点から読んでみたいからだ。 児玉を乗せた汽車が、満洲…

「旅順」から考える  (第175回)

しばらく更新が止まりました。乃木さんについての考えが、うまくまとまらないからです。とはいえ、このまま忘れたり、放置したりもしたくないので、少し肩の力を抜いて更新いたします。まずは先般、乃木神社にお参りしたときの、こぼれ話からです。 多くの神…

一休みして子規のお祭り  (第174回)

乃木さんの話題ばかり続けてきたので、ちょっと一休みして、子規の「墨汁一滴」などから、根岸の祭りの話題を拾う。同書は子規が死去する前年(明治三十四年、1901年)に連載されたもので、その1月から7月まで続けた。高熱の上に、夏は暑くて、書くのがつら…

English Gentleman  (第173回)

手元にイアン・ハミルトン著「思ひ出の日露戦争」(雄山閣)という本がある。これを読んでみたいなと思ったきっかけは、「坂の上の雲」文庫本第八巻にある最後の章、「雨の坂」に出てくる敗将ロジェストウェンスキーの描写に関連して、いわば唐突に出てくる…

「旅順入城式」  (第172回)

掲題の「旅順入城式」は、内田百輭の短編小説であり、また、本作を含む短編集(岩波書店)の名でもある。1934年に出版された。東郷平八郎元帥が亡くなった年だ。ときどき仕事で市ヶ谷や麹町に行くのだが、先日、昼休みに東郷元帥記念公園まで散歩しました。…

厩の人影  (第171回)

米国人の従軍記者、スタンレー・ウォシュバンの名は、「坂の上の雲」文庫本第五巻の「二〇三高地」に出てくる。その箇所に、一戸兵衛が語ったウォシュバンの思い出話が収録されている。その文章は、私の手元にあるS・ウォシュバン著「乃木大将と日本人」(講…

乃木神社  (第170回)

乃木神社に行ってまいりました。私は乃木信者ではないが、日本の神社は別の宗教だろうと無宗教だろうと、出入り自由だ。そのはずだ。断られたことがない。パキスタンのモスクで、ムスリム以外はお断りと言われて、建物の中に入れてもらえなかったのとは大違…

竹矢来  (第169回)

写真は近所の竹矢来です。わざわざ説明用の看板まで立てているのは、このような昔ながらの建築物なども見せている公共施設だからだ。 この「やらい」というのは、「あっちに追いやる、近寄らせない」というような意味で、この程度の低さでも、人や犬が自宅の…

土城子  (第168回)

文庫本第五巻「二〇三高地」では、児玉源太郎の一行が旅順の地に到着するはずの12月1日、乃木希典は早朝に「わしは前線視察に出かける。児玉とは土城址附近で落ち合うことになるだろう」と軍司令部に言い残して出かけてしまった。 この言い置きが不鮮明で、…

柳樹房  (第167回)

この日、1904年の12月1日は、くりかえすと児玉や田中の一行は忙しい。第三軍司令部にとっては、災厄に近い日になる。文庫本第五巻の章「二〇三高地」によると、汽車は柳樹房の近くに停まった。ただし、駅がなく、係員が踏み台を置いた。児玉たちが着いたのは…

葡萄酒と洋食  (第166回)

葡萄酒に洋食。いずれも殆ど死語になりにけり。これらを美味しく頂けるはずだった旅順鉄道の汽車の中、児玉源太郎と共に第三軍の戦場へと向かう参謀田中国重少佐は、11月30日に行われているはずの二〇三高地攻撃の結果を気にしながらの旅となった。もっと気…

弥助砲  (第165回)

大山巌と児玉源太郎が、児玉の二回目の旅順行きについて相談する場面は、先に執筆された「殉死」と、「坂の上の雲」二〇三高地の章とでは趣が異なる。「殉死」では、乃木を罷免してはどうかという大本営からの勧告を、大山は拒否した。だが、さてどうしよう…

第二回旅順行  (第164回)

我が家のAI「アレクサ」によると、司馬遼太郎は「日本の小説家、ノンフィクション・ライター、評論家」だそうだ。上手くまとめたな。「坂の上の雲」は、「あとがき 一」で作者自身が、小説と呼んでいる。確かに、松山や大学が舞台になっている最初のうちは、…

伝令の死  (第163回)

前回引用したスタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人」には、なかなか他の資料ではお目に係れそうもない、乃木将軍の日々の言動や表情などが記録されている。部下である日本の軍人が、そういう軍司令官の姿を書き残すのは難しいだろう。 ウォシュバンに…

旭川の雪  (第162回)

第二回総攻撃の損害は、日本軍が戦死者1,912名、戦傷者2,728名、ロシア軍が戦死者616名、戦傷者3,837名。兵も物資も、全く補給がない旅順ロシア軍は、「深刻な状況に追い込まれており、司令部内では真剣に講和も検討されていた」。以上、平塚柾緒「旅順攻囲…

志賀先生  (第161回)

以前も引用した覚えがあるが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」のテーマについて、文庫本第六巻「黒溝台」の章で次のように書いている。 この稿は戦闘描写をするのが目的ではなく、新興国家時代の日本人のある種の能力もしくはある種の精神の状態について、そぞろ…

作戦変更  (第160回)

前回の続きです。以下は、「坂の上の雲」の「二〇三高地」の章および平塚柾緒「旅順攻囲戦」を参考に、時系列で、この慌ただしい1904年11月下旬の動きをみる。ちなみに、北の戦場では10月下旬に沙河の会戦が終わり、翌年1月に黒溝台の戦闘が始まる時期にあた…

白襷隊  (第159回)

旅順の話題に戻る。ロシアの旅順要塞が落ちたのは正月だった。今から113年前。ずいぶん昔のことのように感じる。一方で、今年は政府が騒いでいるように、大政奉還150周年の年にあたり、また、先述のように「坂の上の雲」の企画は、明治百周年を記念してのも…

謹賀新年  (第158回)

明けましておめでとうございます。右は元旦に遠くから撮影したアオサギの写真です。 本年は明治150年ではなく、平成30年ですので、どうぞお間違いなく。前にも書いたかもしれないが、明治時代は、大学の経済学部のゼミで習ったことによると、計算の仕方によ…