正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

かゆうていかん  (第125回)

戦闘の話ばかり続けたので消耗してきた。我ながら、もろい。方向転換して、子規やその周辺の人たちの話題に入ろう。明治38年7月、すなわち日本海海戦の2か月後に、雑誌「ホトトギス」は臨時増刊号を発行している。 これに高浜虚子が寄稿した「正岡子規と秋山…

市五郎  (第124回)

何回か前に沖ノ島を話題にしたのは、単に「シン・ゴジラ」に触発されただけなのだが、翌朝のニュースにこの島が出てきたのには驚いた。ユネスコが部分的に世界遺産の登録を許可するという話題だった。部分的にというのは、地理的には三か所に分かれている宗…

駆逐隊  (第123回)

小東郷は、駆逐艦にも乗っていた。日本海海戦のときは、駆逐艦隊が第一から第五まで、また、水雷戦隊は第一から第六まで、それぞれ四隻ずつで、合計44隻であったと、第四駆逐隊長の鈴木貫太郎が分かりやすく書いている。 最近ここで鈴木だ貫太郎だと、馴れ馴…

腹が減っては  (第122回)

「例の出羽司令官」と、その第三戦隊の参謀を務めた山路一善中佐の名は、そろって文庫本第七巻「艦影」に出てくる。同章のこのあたりの記述は、もっぱらバルチック艦隊が、対馬コースか太平洋コースか、そのいずれを採るのかという論争について触れている。 …

ヘロヘロ水雷  (第121回)

前回の最後にご登場いただいた出羽重遠と瓜生外吉の両司令官は、すでにこのブログの話題になっている。前者は仁川の砲撃、後者は対馬沖の接近遭遇。少し年月も経っているので、また題材にさせていただこう。 瓜生さんが拙宅の近所に亡くなるまでお住まいだっ…

送り狼  (第120回)

日本海海戦の直前、主力である東郷さんがいる第一戦隊や上村さんの第二戦隊は、朝鮮半島方面で待機しており、一方で、文庫本第八巻「運命の海」の章に「海戦史上、片岡の第三艦隊ほど索敵部隊としての能力を高度に発揮した例はなかった。」と書いてある第三…

和泉艦長  (第119回)

司馬遼太郎「街道をゆく」は、第43巻の最後に「未完」と書かれており、すなわち絶筆だろう。手元にその文庫本があり、前にもどこかで引用した覚えがあるが、改めて私の好きな箇所を引用します。 古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀は違うとした。無謀はその…

病院船  (第118回)

バルチック艦隊随一のお騒がせ舟、「病院船アリョール」は、最初に見つかってしまった敵艦であった。「坂の上の雲」第八巻の「敵艦見ゆ」に出てくるこの「アリョール」の灯火は、後檣(後ろのマストですか)に連掲されていて、色は白赤白だった。これは映画…

哨艦列  (第117回)

前回、書き漏らした。資料の引用元の戸郄一成編「日本海海戦の証言」は、戸郄さんが編者あとがきで示しているように、「戦袍余薫懐旧録 第2輯」(大正十五年)という書籍に拠るものが多い。 国立国会図書館のサイトにある。旧仮名遣いで写真や補足もないが…

間違い  (第116回)

前回の続き。玄界灘で水雷と砲弾の攻撃を受けた佐渡丸は、悲運の僚船常陸丸が沈んだが、自らは沈没を免れて連合艦隊に復帰した。最後の大仕事が1905年の5月下旬、日本海海戦の哨戒任務。 この前衛艦隊を指揮したのは、主に第三艦隊司令長官の片岡七郎中将。…

蔚山沖  (第115回)

沖ノ島の近海が、日露戦争の戦場になったのは、日本海海戦が初めてではない。ただし、通常は当該の地名として、玄界灘が出てくる。戦闘というよりも、災害に近い。一連の海難のうち、特に常陸丸の遭難が名高い。 その名のとおり、民間商船を軍事徴用したもの…

沖ノ島  (第114回)

子供のころから、宗教心もないのになぜか神話が好きで、ギリシャ神話や北欧神話や聖書物語は、いまでも愛読書だ。今日の話題は蔵書「現代語訳 古事記」福永武彦訳(河出文庫)から拾います。 最近これを引っ張り出したのは、映画「シン・ゴジラ」に出てくる…

春天  (第113回)

俳句の季語に、春天と書いて「しゅんてん」と読むものがございます。春一番ときくと強風を思い浮かべますが、春天となると、何ともうららかな感じがいたします。虚子も春が好きだったようで、春の空をよんだ句が多い。 雨晴れておほどかなるや春の空 虚子 他…

花旅団  (第112回)

子規のメモから第二師団の話を始め、これが長くなったのは、途中「東北でよかった」旨の発言をした薄馬鹿下郎(失礼)の閣僚が出たからだ。もうお仕置きは受けているので、ここでは程々にして本日、結びの一番。 遼陽に次ぐ沙河の会戦においても、黒木の第一…