正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

子規の「道灌山」  (第34回)

しばらく日露戦争ばかり話題にしていたので、この戦争の直前に亡くなった子規を久しぶりに話題にしたくなった。子規は散文の名手でもあり、司馬さんは明治以降の文体の手本の一つとなったと力説してやまない。 私には文体論はよく変わらない。でも時代を問わ…

垣花善の酒と結晶  (第33回)

久松の五人の漁師が浅瀬に乗り上げたのは、石垣島の伊原間という場所だったと書いてある。この地名は今もあって、石垣島の真ん中より少し北部にある島の幅が一番狭いところに位置する。ここから石垣島の中心街まで約30キロであった。海岸沿いに今も幹線道路…

宮古島発 石垣島行カヌー  (第32回)

文庫本第七章に出てくる海の男たちは、中学のころからの愛読書「水滸伝」に出てくる浪裏白跳の張順、九紋龍史進、阮の三兄弟といった物騒な連中を思い出させる。彼らも常日頃は大宋国という国家の一員として生業にいそしんでいるが、事ここに至ったとき一つ…

奥浜牛の印鑑  (第31回)

この逸話で3回もブログを書いたのには私なりの理由もある。百年ほど前に奥浜牛が急報を胸に駆け抜けた道を、ほぼ間違いなく、そうとは知らずに私も歩いている。前々回にも触れた台風のときに、一泊二日で宮古島に立ち寄った際のことである。2010年ごろだった…

海の向こうから戦がやってきた  (第30回)

奥浜牛の故郷、粟国島の人々は出稼ぎに出る人が多くて進取の気性に富んでおり、彼もその一人であったと作者は書く。まだ船主になるほど裕福ではなく借り船だったというから、農業でいうと小作農のようなものか。当時の彼は那覇に住み、山原船に雑貨を積んで…

宮古島  (第29回)

沖縄が好きで十回以上は旅行に行っている。必ず夏。主な目的は珊瑚の海で泳ぐことや釣り、そして料理とオリオン・ビールに泡盛である。本島はいつも飛行機を乗り換えるだけで、宿泊したことがあるのは石垣島、久米島、宮古島。その周囲の小さな島々に遊びに…