正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

一休み  (第141回)

これから旅順総攻撃が始まるので、その前に一息入れたくなった。写真はうちから電車ですぐの隅田川に近い都の東北。上の石碑は、私の身長より遥かに高くて、3メートルぐらいある。下がそのそばにある案内板。 東京都荒川区熊野前にて撮影 (2017年9月16日撮…

”海軍の乃木さん”のような人  (第140回)

昭和期の帝国海軍において、そう呼ばれた軍人がいる。いま私は戦死した伯父の戦争について、あれこれ調べ事をしているのだが、ミッドウェー海戦で空母「蒼龍」の艦長を務め、爆発炎上した船と共に海に沈んだ柳本柳作大佐がその人。乃木さんが、後世の日本軍…

剣山  (第139回)

生け花の小道具の話題ではございません。遼東半島にある山の名前。日露戦争の古戦場です。乃木さんの第三軍は緒戦好調で歪頭山を落し、次にその内陸側にある剣山に向かいました。この山の名前の読み方が気になる。 「坂の上の雲」文庫本第四巻には、「つるぎ…

緒戦  (第138回)

南山の奥と旅順の乃木の軍に、多大な犠牲を強いることになった人物を代表で一人挙げるとしたら、コンドラチェンコ少将だろう。旅順はもちろん、南山の要塞を強化したのも彼だ。「坂の上の雲」に出てくる。文庫本第三巻の「陸軍」。 ロシア軍は旅順港が日本海…

静岡駅  (第137回)

乃木希典中将が、新たに編成される第三軍の司令官に任命されたのは、日露開戦三か月後の1905年5月のことだから、やはり戦争の成り行きを見定めての新編成だったはずだ。後述するが、奥康鞏大将の第二軍から一部の隊を引き抜いていることからしても、当初計画…

那須野  (第136回)

乃木さんは日清戦争に出征した。第一師団の旅団長として金州や旅順で戦っている。いずれも後に辛い地名になる。「坂の上の雲」には、ほとんどこの時期のことは出てこない。途中から第二師団の師団長になっているし、中将になっているし、活躍したはずだが。 …

教育者  (第135回)

乃木さんは教育者になればよかったのにと思う。司馬遼太郎風に言えば、乃木の人生はそれ自体が劇であり、本人が脚本を書き、本人が主役を演ずる。周囲は助演者であり、その最たるものが妻お七ということになるだろう。二人の息子の死も、詩的、劇的になった…

連隊旗  (第134回)

乃木さんの遺書には、「殉死」にも出てくるとおり、「その罪、軽からず」という一節があり、その続きに、罪とは「明治十年之役」で軍旗を失ったことだとある。私が子供のころは、まだ西南戦争や関ケ原の合戦は、それぞれ西南の役、関ヶ原の役と呼ばれており…