正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

愚駄仏庵  (第20回)

前回の続き。子規は看病に来てくれた虚子に、自分の事業の後継者になれと口説いたらしい。これと同様の場面は後にもでてくるのだが、どうやらここで虚子は快諾せず、子規は子規であきらめなかったということだろうか。 ようやく子規も小康状態になって退院し…

須磨  (第19回)

文庫本第二巻の「須磨の灯」は、どうやら最初は子規の「病」、続いて虚子の「子規居士と余」、さらに漱石の日記が主な種本になっているようだ。子規は念願の日清戦争の従軍記者になった。陸羯南社長は子規の体調を慮って渡航を許さなかったのだが、記者団に…

鉄砲鍛冶  (第18回)

拙宅の近くに上野の寛永寺と谷中の天王寺の墓地および都立の谷中霊園がある。互いに隣接していて境界線も定かではないため、ひっくるめて谷中墓地と呼んでいる。解放的で広々としているため、墓場らしき暗さが無く、私のお気に入りの散歩コースになっている…

船大工  (第17回)

文庫本の第二巻に「米西戦争」という章がある。米国駐在中の秋山真之がサンチャゴ湾の閉鎖作戦を勉強していたころのことだ。この時期に小村寿太郎がアメリカ大使として着任する。この人は「坂の上の雲」の至ることろに出てくる。日清戦争が始まるころの北京…

緑馬事件  (第16回)

このタイトルを見ただけで笑えるお人がいるならば、勝手ながら一方的に同志と呼ぼう。秋山好古が丹精込めて作り上げた近代日本初の騎兵隊も、いよいよデビュー戦を迎えるときが来た。文庫本第二巻の「日清戦争」の章に多少詳しくそれまでの経緯が描かれてお…

山地忠七  (第15回)

幕末のころ土佐の侍に山地忠七という若者がおった。殿の身の回りのお世話係を命じられ、参勤交代で江戸で働いていたころ、田舎からの手紙で母が重病であることを知った。忠七は朴訥な父と孟母のごとく厳しい母の教育を受けて育った。 例えば子供のころ鬼ごっ…

大龍寺  (第14回)

せっかく真之が歩いた道の検討をしたこともあり、子規のお墓参りに行ってきました。今回が二度目の墓参。ここで前回までに書いた「可能性の高い道」をそのまま歩いた。ただし、帰りは疲れ切って(その休日が、ものすごい高温多湿の日だったのだ)、電車で戻…

王子街道(後半)  (第13回)

前回と今回は「坂の上の雲」のストーリーとは関係がない。よほど歴史や地理が好きで、この辺を知っている人でないと面白くもなんともないだろう。最初にお断りしておくと、前回これが真之の歩いた道だと言ったものは、もっともその確率が高いからだと思うか…

王子街道(前半)  (第12回)

子規の書いた日記調の文章などを読んでいると、ときどき不折あるいは不折子という人が出てくる。画家・書家の中村不拙のことだ。伊集院静著「ノボさん」によると、不折は子規の口利きで新聞日本に挿し絵を描くようになったという。 後には子規の号から命名さ…

三人が寄り添うように  (第11回)

根岸に行くと言い残して秋山真之が出かけたのは、「子規の家にその母と妹をたずねるつもりだった」と司馬さんは書いている。ところが彼は二人に会わずに帰っている。 それがなぜなのか、これでもずいぶん真面目に考えたのだが、結局さっぱりわからん。子規の…

藤の木茶屋と羽二重団子  (第10回)

題に二つ並べて書いたが別物ではなく、江戸時代の創業のころは「坂の上の雲」に出てくるように「藤の木茶屋」という名であったのが、現在は株式会社羽二重団子の商号および主力商品名として有名になっている。同社のサイトにそのように書いてあるから、それ…

善性寺と音無川  (第9回)

芋坂のあたりを通りかかった秋山真之は「雨の坂」によると、空腹をいやすべく「藤の木茶屋」に立ち寄っている。江戸時代から続くこの老舗の茶屋は、今も「羽二重団子」として現役なのであるが、この話題は次回の楽しみにするとして、今日は近辺に寄り道する…

根岸の芋坂  (第8回)

しばらくの間、最終章「雨の坂」に出てくる「ひとつの情景」を読む。書き出しは1905年10月23日に、連合艦隊が横浜沖で観艦式を行ったという出来事 である。龍田も和泉も筑紫もその栄えある場に居並んだが戦艦三笠がいない。佐世保の港に沈没したままになって…

雨の坂  (第7回)

小説「坂の上の雲」の最終章は「雨の坂」という題名である。作品名と比べ、何と淋しい響きであることか。正岡子規の家と墓に赴いた秋山真之が、田端の坂道で雨に降られたことに由来している。 この小説は秋山兄弟の伝記としての側面を持っていることもあり、…

和泉そして吉野  (第6回)

日本海海戦に関連する諸サイトを拾い読みなどしていると、どれもまあ勇壮なことこの上なく、旭日旗やZ旗が翩翻とはためいている。こうして戦艦の名をタイトルにしておきながら、私は余り艦船自体には関心がなく、それに乗っている人たちのほうに興味がある。…

信濃丸と病院船アリョール  (第5回)

もう一隻の「和泉」に話を進める前に、「信濃丸」に寄り道したい。この両艦はバルチック艦隊に接近遭遇した一番乗りとその後任なのだ。信濃丸は他の「丸」が付いている船と同様、民間から戦時徴用された仮装巡洋艦であった。 軍に召し上げられて気の毒にとも…