正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

築地 (2の2)  (第203回)

前回の続きで、同じ日の散歩です。散歩とはいえ、暑くて苦行のごとし。それでも場外は大勢の人出でした。外国人観光客も多い。海軍兵学校について、「坂の上の雲」の文庫本第一巻の「海軍大学校」という章に、秋山真之が兄の好古に「海軍兵学寮」というのは…

築地(2の1)  (第202回)

今回と次回は、江田島に移転する前に東京の築地にあった海軍兵学校の跡や、その周辺の町並みなどを紹介いたします。歩いた順に訪問先を書いてゆきますので、海軍兵学校の話題は次回(2の2)に載せます。まず近隣の地図をグーグル・マップで示します。前回…

海軍兵学校  (第201回)

先の大戦におけるアメリカ軍人の手記などを読んでいると、秋山兄弟と同じように、家が貧乏だったので軍隊に入ったという人が結構います。学が無いと一兵卒になるしかない。荒っぽく言えば、兵隊を増やしたければ、国民を貧乏にすればよい。その点、秋山兄弟…

松山にて  (第200回)

前回の蘆花と子規の話題に続き、今回は子規と真之の話です。出典は同じく司馬遼太郎「坂の上の雲」(文春文庫)の第八巻に収録されている「あとがき 一」。楽天家たちは「のぼってゆく坂の上の天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つ…

蘆花  (第199回)

徳富蘆花を話題にするのは、彼の旧宅を訪問して以来のことかと思います。その時も今回も、きっかけになったのは同じ文章で司馬遼太郎「坂の上の雲」のあとがき。私の同作品の蔵書は、黄色い背表紙でおさ馴染みの文春文庫全8巻です。もっとも、最初に刊行され…

呉と江田島  (第198回)

そう遠くないうちに、呉や江田島に行くかもしれないという話になってきました。社会活動の一環です。その主な用件が呉で終わったあと、時間があれば大和ミュージアムや江田島の海軍関係の施設等を見て回りたいと思っています。大学生の夏休み、西日本を一人…

子規庵のご近所  (第197回)

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。去年は還暦を迎えた私ですが、みなさま同様、コロナ禍に仕事も暮らしも翻弄されました。高校を卒業して故郷を離れて以来、海外長期駐在中は除き、かならず静岡に帰省して実家や…

近ごろの根津  (第196回)

東京都台東区の根津には、正岡子規と家族が暮らしていた「子規庵」(建物は再建)と、友人の中村不折のコレクションを展示している「台東区立書道博物館」があります。いすれも、拙宅から歩いて5分程度。間にビルがあるので直接は見えませんがご近所です。 …

柳通り  (第195回)

前々回で終えたつもりだった、子規の随筆「車上所見」の感想文に関連して、追加の話題ができましたので加筆します。冒頭で子規は人力車に乗り、音無川に沿って進み、「笹の雪」(今もある豆腐屋さん)の角を曲がったと書いています。それに続く地名からして…

鴎外荘  (第194回)

手元の資料で上手く見つからないのだが、森鴎外は何度か根津の子規庵に、病床の正岡子規を見舞っているはずだ。そのころの鴎外がどこに住んでいたのか知らないが、馬に乗ってきたという逸話をどこかで読んだ覚えがある。鴎外も一時期、拙宅のそばに住んでい…

三河島  (第193回)

しばらく別のブログの更新にかまけて、こちらがお留守になっておりました。子規の随筆「車上所見」(サイトは青空文庫さん)も、今回で一区切りです。子規は人力車の上から、メダカやイナゴをながめているうちに、昔のことを思い出す。この短い文章で、私の…

空たちまち開く  (第192回)

前回に引き続き、正岡子規の随筆「車上所見」の感想文です。改めて、青空文庫さんのサイトをご案内します。このうち前回は、豆腐料理「笹の雪」の横から野に出たところまででした。ちなみに、子規庵から私が歩いて、五分もかからないご近所です。 車上所見前…

車上所見  (第191回)

今回から、もう一つ、子規の随筆の感想文を掲げます。好きな文章なので丁寧に読む。最初に読んだのは、いまも所蔵している筑摩書房の「ちくま日本文学040 正岡子規」の収録作品です。もっとも、この文章の後半はすでに、何回か断続的に話題にしているのです…

音無川  (第190回)

前回に引き続き、子規の随筆「そぞろありき」の地理案内などです。この散歩の最初と最後のあたりで、彼が渡ったはずの川の名前も出てくる。音無川といいます。今は暗渠になっていて、川面は見えません。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終回で、根岸に…

そぞろありき  (第189回)

ただいま他のブログにて、先の戦争の記事を書き続けているため、戦争疲れしており、日露戦争はしばらくお休みです。先日読んでいたのは、「道の手帳 正岡子規」(河出書房出版)。この短い随筆「そぞろありき」も収録されている。漢字で「漫ろ歩き」。「すず…

子規とベースボール  (第188回)

上野の彼岸花です。毎年、判で押したようにお彼岸に咲くのだが、今年は台風のせいか、残暑が原因が、この辺りでは少し遅かった。また、赤の方が白より早く咲くように思う。 さて、正岡子規の野球好きについては多くの人がもう書いているし、野球殿堂入りまで…

二十八サンチ榴弾砲の跡地(第187回)

別件で横須賀に行く機会がありましたので、観音崎に第一号が据えてあったと「坂の上の雲」に書いてあった、二十八サンチ榴弾砲の砲台跡に寄ってまいりました。写真はいずれも、2019年9月5日の撮影です。これから、その場に行く予定の方のために、地図だけで…

子規の地球儀  (第186回)

ずっと前にも書いたような覚えがあるが、正岡子規は慶応三年の生まれで、翌年は明治元年。したがって明治の年号は、子規の年齢と共に進んでおり、例えば明治三十四年は、子規や同期の夏目漱石が満34歳になる年だから分かりやすい。随筆集「墨汁一滴」(もと…

博物  (第185回)

前回以来、ときどき子規の「仰臥漫録」を読んでいる。他の随筆集と異なり、新聞日本の記事ではなく、公表するつもりがなかったはずの日記のようなものだから、絵が描いてあったり、食い物や病状の話、果ては妹お律の悪口まで、話題を問わず書いている。漫録…

朝鮮少女の服  (第184回)

子規が住んでいた根津(今の東京都台東区)のすぐ近くに引っ越してきてから、十年余り経つ。大病と失業のあとだったから、しばらくは半病人の生活でした。どうやら五十代は生き延びそうだぞ。来年、満60歳になります。越してきたばかりのころ、近所ではしば…

久しぶりの更新  (第183回)

乃木希典の記事を長い間、ここで連載してきたのだが、終わりが全く見えないまま行き詰りました。無理して終わらせる必要などないので、少しばかり中断して休むことにした。乃木さんは、偉人なのか巨人なのか未だに良く分からないが、日本人がそれぞれ描く彼…

「殉死」について  (第182回)

すでに何回か取り上げた司馬遼太郎著「殉死」を、改めて読み返してみました。正直なところ、このブログも乃木さんという大物を一つのテーマにしたため、消化不良を起こし、なかなか更新が進まなくなった。そこで「坂の上の雲」から、いったん離れて「殉死」…

戦い済んで  (第181回)

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。はてなブログに転居して初めての記事です。昨年末は多忙と体調不良が交互に来て参りました。この程度のブログでも、それなりに勉強や体力が必要であります。 今回は久々の登板のため…

二十八サンチ榴弾砲  (第180回)

以前も参考文献にした「日露戦争秘史」(朝日新聞社編)を、今回も、現代かなづかいに置き換えつつ引用します。公刊戦史ではないが、実戦経験者の話だから貴重だし、座談会だから大嘘はつけまい。その前に、今回の話題である二十八サンチ榴弾砲について、「…

詩会  (第179回)

句会という言葉があるのだから、詩会も当然あるだろうと思っていたのだが、検索しても引っかからず、どうやら一般的な言葉ではないらしい。造語かなあ。今回は、戦争の話は一休み。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」の「あとがき 一」を、「小説という表現形式の…

オイ田中  (第178回)

「坂の上の雲」の文庫本第五巻「二〇三高地」に出てくる児玉源太郎の「田中ァ、何をぼやぼやしている」、「おぬしは外国の観戦武官か」という癇癪玉の破裂は、その前段の続きのはずなので、時は1904年12月5日、場所は「二〇三高地のちかくの丘」であるはずだ…

最前線  (第177回)

12月1日の作戦会議というか児玉の独壇場の最後のところで、児玉源太郎は先任参謀の大庭中佐に対し、前線へ敵情視察に行けという命令を下している。伊地知は外された。 明日自分も行くから、そのとき報告せよと言われては、行かねばなるまい。大庭以下三名は…

柳樹房  (第176回)

明治三十七年(1904年)十二月一日は、児玉源太郎にとって多忙を極める日になった。このブログで前回、「坂の上の雲」は「先の大戦批判でもある」としつこく書いたのは、今回の児玉の出張も、そういう観点から読んでみたいからだ。 児玉を乗せた汽車が、満洲…

「旅順」から考える  (第175回)

しばらく更新が止まりました。乃木さんについての考えが、うまくまとまらないからです。とはいえ、このまま忘れたり、放置したりもしたくないので、少し肩の力を抜いて更新いたします。まずは先般、乃木神社にお参りしたときの、こぼれ話からです。 多くの神…

一休みして子規のお祭り  (第174回)

乃木さんの話題ばかり続けてきたので、ちょっと一休みして、子規の「墨汁一滴」などから、根岸の祭りの話題を拾う。同書は子規が死去する前年(明治三十四年、1901年)に連載されたもので、その1月から7月まで続けた。高熱の上に、夏は暑くて、書くのがつら…