正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

近ごろの根津  (第196回)

東京都台東区の根津には、正岡子規と家族が暮らしていた「子規庵」(建物は再建)と、友人の中村不折のコレクションを展示している「台東区立書道博物館」があります。いすれも、拙宅から歩いて5分程度。間にビルがあるので直接は見えませんがご近所です。 …

柳通り  (第195回)

前々回で終えたつもりだった、子規の随筆「車上所見」の感想文に関連して、追加の話題ができましたので加筆します。冒頭で子規は人力車に乗り、音無川に沿って進み、「笹の雪」(今もある豆腐屋さん)の角を曲がったと書いています。それに続く地名からして…

鴎外荘  (第194回)

手元の資料で上手く見つからないのだが、森鴎外は何度か根津の子規庵に、病床の正岡子規を見舞っているはずだ。そのころの鴎外がどこに住んでいたのか知らないが、馬に乗ってきたという逸話をどこかで読んだ覚えがある。鴎外も一時期、拙宅のそばに住んでい…

三河島  (第193回)

しばらく別のブログの更新にかまけて、こちらがお留守になっておりました。子規の随筆「車上所見」(サイトは青空文庫さん)も、今回で一区切りです。子規は人力車の上から、メダカやイナゴをながめているうちに、昔のことを思い出す。この短い文章で、私の…

空たちまち開く  (第192回)

前回に引き続き、正岡子規の随筆「車上所見」の感想文です。改めて、青空文庫さんのサイトをご案内します。このうち前回は、豆腐料理「笹の雪」の横から野に出たところまででした。ちなみに、子規庵から私が歩いて、五分もかからないご近所です。 車上所見前…

車上所見  (第191回)

今回から、もう一つ、子規の随筆の感想文を掲げます。好きな文章なので丁寧に読む。最初に読んだのは、いまも所蔵している筑摩書房の「ちくま日本文学040 正岡子規」の収録作品です。もっとも、この文章の後半はすでに、何回か断続的に話題にしているのです…

音無川  (第190回)

前回に引き続き、子規の随筆「そぞろありき」の地理案内などです。この散歩の最初と最後のあたりで、彼が渡ったはずの川の名前も出てくる。音無川といいます。今は暗渠になっていて、川面は見えません。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終回で、根岸に…

そぞろありき  (第189回)

ただいま他のブログにて、先の戦争の記事を書き続けているため、戦争疲れしており、日露戦争はしばらくお休みです。先日読んでいたのは、「道の手帳 正岡子規」(河出書房出版)。この短い随筆「そぞろありき」も収録されている。漢字で「漫ろ歩き」。「すず…

子規とベースボール  (第188回)

上野の彼岸花です。毎年、判で押したようにお彼岸に咲くのだが、今年は台風のせいか、残暑が原因が、この辺りでは少し遅かった。また、赤の方が白より早く咲くように思う。 さて、正岡子規の野球好きについては多くの人がもう書いているし、野球殿堂入りまで…

二十八サンチ榴弾砲の跡地(第187回)

別件で横須賀に行く機会がありましたので、観音崎に第一号が据えてあったと「坂の上の雲」に書いてあった、二十八サンチ榴弾砲の砲台跡に寄ってまいりました。写真はいずれも、2019年9月5日の撮影です。これから、その場に行く予定の方のために、地図だけで…

子規の地球儀  (第186回)

ずっと前にも書いたような覚えがあるが、正岡子規は慶応三年の生まれで、翌年は明治元年。したがって明治の年号は、子規の年齢と共に進んでおり、例えば明治三十四年は、子規や同期の夏目漱石が満34歳になる年だから分かりやすい。随筆集「墨汁一滴」(もと…

博物  (第185回)

前回以来、ときどき子規の「仰臥漫録」を読んでいる。他の随筆集と異なり、新聞日本の記事ではなく、公表するつもりがなかったはずの日記のようなものだから、絵が描いてあったり、食い物や病状の話、果ては妹お律の悪口まで、話題を問わず書いている。漫録…

朝鮮少女の服  (第184回)

子規が住んでいた根津(今の東京都台東区)のすぐ近くに引っ越してきてから、十年余り経つ。大病と失業のあとだったから、しばらくは半病人の生活でした。どうやら五十代は生き延びそうだぞ。来年、満60歳になります。越してきたばかりのころ、近所ではしば…

久しぶりの更新  (第183回)

乃木希典の記事を長い間、ここで連載してきたのだが、終わりが全く見えないまま行き詰りました。無理して終わらせる必要などないので、少しばかり中断して休むことにした。乃木さんは、偉人なのか巨人なのか未だに良く分からないが、日本人がそれぞれ描く彼…

「殉死」について  (第182回)

すでに何回か取り上げた司馬遼太郎著「殉死」を、改めて読み返してみました。正直なところ、このブログも乃木さんという大物を一つのテーマにしたため、消化不良を起こし、なかなか更新が進まなくなった。そこで「坂の上の雲」から、いったん離れて「殉死」…

戦い済んで  (第181回)

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。はてなブログに転居して初めての記事です。昨年末は多忙と体調不良が交互に来て参りました。この程度のブログでも、それなりに勉強や体力が必要であります。 今回は久々の登板のため…

二十八サンチ榴弾砲  (第180回)

以前も参考文献にした「日露戦争秘史」(朝日新聞社編)を、今回も、現代かなづかいに置き換えつつ引用します。公刊戦史ではないが、実戦経験者の話だから貴重だし、座談会だから大嘘はつけまい。その前に、今回の話題である二十八サンチ榴弾砲について、「…

詩会  (第179回)

句会という言葉があるのだから、詩会も当然あるだろうと思っていたのだが、検索しても引っかからず、どうやら一般的な言葉ではないらしい。造語かなあ。今回は、戦争の話は一休み。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」の「あとがき 一」を、「小説という表現形式の…

オイ田中  (第178回)

「坂の上の雲」の文庫本第五巻「二〇三高地」に出てくる児玉源太郎の「田中ァ、何をぼやぼやしている」、「おぬしは外国の観戦武官か」という癇癪玉の破裂は、その前段の続きのはずなので、時は1904年12月5日、場所は「二〇三高地のちかくの丘」であるはずだ…

最前線  (第177回)

12月1日の作戦会議というか児玉の独壇場の最後のところで、児玉源太郎は先任参謀の大庭中佐に対し、前線へ敵情視察に行けという命令を下している。伊地知は外された。 明日自分も行くから、そのとき報告せよと言われては、行かねばなるまい。大庭以下三名は…

柳樹房  (第176回)

明治三十七年(1904年)十二月一日は、児玉源太郎にとって多忙を極める日になった。このブログで前回、「坂の上の雲」は「先の大戦批判でもある」としつこく書いたのは、今回の児玉の出張も、そういう観点から読んでみたいからだ。 児玉を乗せた汽車が、満洲…

「旅順」から考える  (第175回)

しばらく更新が止まりました。乃木さんについての考えが、うまくまとまらないからです。とはいえ、このまま忘れたり、放置したりもしたくないので、少し肩の力を抜いて更新いたします。まずは先般、乃木神社にお参りしたときの、こぼれ話からです。 多くの神…

一休みして子規のお祭り  (第174回)

乃木さんの話題ばかり続けてきたので、ちょっと一休みして、子規の「墨汁一滴」などから、根岸の祭りの話題を拾う。同書は子規が死去する前年(明治三十四年、1901年)に連載されたもので、その1月から7月まで続けた。高熱の上に、夏は暑くて、書くのがつら…

English Gentleman  (第173回)

手元にイアン・ハミルトン著「思ひ出の日露戦争」(雄山閣)という本がある。これを読んでみたいなと思ったきっかけは、「坂の上の雲」文庫本第八巻にある最後の章、「雨の坂」に出てくる敗将ロジェストウェンスキーの描写に関連して、いわば唐突に出てくる…

「旅順入城式」  (第172回)

掲題の「旅順入城式」は、内田百輭の短編小説であり、また、本作を含む短編集(岩波書店)の名でもある。1934年に出版された。東郷平八郎元帥が亡くなった年だ。ときどき仕事で市ヶ谷や麹町に行くのだが、先日、昼休みに東郷元帥記念公園まで散歩しました。…

厩の人影  (第171回)

米国人の従軍記者、スタンレー・ウォシュバンの名は、「坂の上の雲」文庫本第五巻の「二〇三高地」に出てくる。その箇所に、一戸兵衛が語ったウォシュバンの思い出話が収録されている。その文章は、私の手元にあるS・ウォシュバン著「乃木大将と日本人」(講…

乃木神社  (第170回)

乃木神社に行ってまいりました。私は乃木信者ではないが、日本の神社は別の宗教だろうと無宗教だろうと、出入り自由だ。そのはずだ。断られたことがない。パキスタンのモスクで、ムスリム以外はお断りと言われて、建物の中に入れてもらえなかったのとは大違…

竹矢来  (第169回)

写真は近所の竹矢来です。わざわざ説明用の看板まで立てているのは、このような昔ながらの建築物なども見せている公共施設だからだ。 この「やらい」というのは、「あっちに追いやる、近寄らせない」というような意味で、この程度の低さでも、人や犬が自宅の…

土城子  (第168回)

文庫本第五巻「二〇三高地」では、児玉源太郎の一行が旅順の地に到着するはずの12月1日、乃木希典は早朝に「わしは前線視察に出かける。児玉とは土城址附近で落ち合うことになるだろう」と軍司令部に言い残して出かけてしまった。 この言い置きが不鮮明で、…

柳樹房  (第167回)

この日、1904年の12月1日は、くりかえすと児玉や田中の一行は忙しい。第三軍司令部にとっては、災厄に近い日になる。文庫本第五巻の章「二〇三高地」によると、汽車は柳樹房の近くに停まった。ただし、駅がなく、係員が踏み台を置いた。児玉たちが着いたのは…