正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2017-01-01から1年間の記事一覧

第二回が失敗してから  (第157回)

ここでときどき引用・参照している平塚柾緒「旅順攻囲戦」という本は、正確にいうと「写真が記録した日露戦争 旅順包囲戦」(学研M文庫)という題で、とても重宝している。学研だけあって説明が平易で分かりやすく、地図や写真が豊富で、また「坂の上の雲」…

東を征せよ  (第156回)

ウラジオストクという言葉の意味は、文庫本第四巻「旅順総攻撃」によると、「東を征せよ」という意味だそうだ。なんだか神武天皇みたいだな。その地を拠点とするロシア帝国の「太平洋艦隊」は、司馬さんの解釈では、「ロシアの中国・朝鮮侵略のための威圧用…

「旅順攻囲軍」 (第155回)

「旅順攻囲軍」は書籍の名。著者は志賀重昂。「坂の上の雲」文庫本第五巻の「二〇三高地」に、「観戦員」として出てくる。本来は地理学者で、ただしこの時期は日露戦争の従軍記者として旅順にいた。彼の従軍記事のうち、旅順攻囲戦の箇所を商業出版したのが…

第二回総攻撃の始まり  (第154回)

第二回の旅順総攻撃は、1904年9月下旬の前半と、同年10月下旬の後半にわかれる。第一回総攻撃から3週間ほどの間が空いたのは、一因として「正攻法」に変えたためだろう。すなわち、要塞近くまで坑道を掘り、歩兵がそこまで前進できるようにする。また、いき…

もはや災害  (第153回)

1904年の9月から10月にかけて行われた第二回旅順総攻撃は、先述のとおり、数え方によっては二回目と三回目とも呼べなくはない。中断して再開したからだ。 その理由は砲弾が尽きたからだと、どこかで読んだ覚えがあるのだが、損害が酷く中断せざるを得なかっ…

誰が言い出したのか  (第152回)

「坂の上の雲」文庫本第六巻の「黄塵」の章に、乃木司令官・伊地知参謀長の人事が決まり、1904年7月に大連に上陸した児玉が乃木と会う段階で、「伊地知が乃木を不幸にした」とまで作者は言い切り、その例として次の一節が続く。たぶん、これが本作における二…

海抜203メートル  (第151回)

かねがね不思議に思ってきたのですが、なぜ二〇三高地には「盤竜山」のような固有名詞が無く、標高だけの表示になっていたのかという、この人生に関係はなさそうですが、気になる点です。以下、例によって目の醒めるような結論は出ませんが、調べた記録は残…

東鶏冠山と盤竜山  (第150回)

旅順攻囲戦の激戦地というと、すっかり有名になっている二〇三高地を思い浮かべる人が多いと推察しますが、私にとっては、東鶏冠山という名を見かけただけで気が滅入るほど、ここでの戦闘もすさまじかったという印象がある。 その理由の一つは、櫻井忠温著「…

旅順総攻撃の始まり  (第149回)

旅順要塞の攻囲戦が始まったのは、1904年8月19日の乃木軍司令官による総攻撃命令からだ。この日付は、以前に触れたように大本営側の意向が働いており、記者会見まで準備していたらしいのだが、ともかく日本軍全体が急いでいる。 バルチック艦隊の来襲は、早…

ちょっと脱線  (第148回)

旅順の記事を一休みして、追加報告のようなもの。先日、用事で仙台に参りました。少し余りの時間ができたので、午後遅く仙台城址に行った。仙台は何回か行ったことがあるが、ここは名高い伊達政宗公の像があるのに初めてだ。 丘の頂上にそれはある。日曜日と…

明治150年  (第147回)

感想文がこれから旅順総攻撃の段階に入るにあたり、その前に、読書の際に念頭に置いておきたいことを、できるだけ整理したい。なぜ、司馬遼太郎はこれほどまでに乃木・伊地知に厳しいのだろうか。 司馬さんは着目した人物、好みの人物について何度でも書き、…

高崎山  (第146回)

当初は固有名詞がなく、二〇三高地と同様に海抜を示す「一六四高地」と呼ばれていた小さな山は、「高崎の歩兵第十五連隊がおびただしい出血の挙句に奪取した」(「殉死」)ため、高崎山と名付けられた。 前回も引用した「坂の上の雲」文庫本第五巻の巻末地図…

海軍陸戦重砲隊  (第145回)

今回と次回は、1904年8月19日から始まる第一回の旅順総攻撃の前哨戦に関する話題。今回は、前回の途中で触れた黒井悌次郎中佐が率いる海軍陸戦重砲隊についてです。 旅順攻囲戦は、司馬遼太郎も主に陸軍の資料を基に書いたはずで、このためか「坂の上の雲」…

砲弾が足りない  (第144回)

戦車や戦闘機が登場するのは、約十年後の第一次世界大戦のときで、また、日露戦争時に信さんが注文した「機関砲」という名で「坂の上の雲」にも出てくる機関銃が、本格的に使われ始めたのも一次大戦のときだそうだ。 日露戦争の火器は、大砲、小銃、地雷、機…

相手は山  (第143回)

なかなか筆が先に進まない。「坂の上の雲」の旅順戦は、極論すると、困ったことに乃木さんの出番がほとんどない。ここでいう「出番」とは、娯楽作品としての軍記に欠かせない主役の登場シーンで、古いもので例えれば鵯越とか勧進帳とか、「待ってました」の…

旅順総攻撃の数え方  (第142回)

これから旅順戦の経緯をたどるにあたり、肝心の総攻撃の回数と数え方が分からなくて混乱している。「坂の上の雲」は、文庫本第四巻にある「旅順」の章に、第一回は1904年8月19日開始と記されている。これは他の資料も変わらない。 また、旅順要塞を陥落させ…

一休み  (第141回)

これから旅順総攻撃が始まるので、その前に一息入れたくなった。写真はうちから電車ですぐの隅田川に近い都の東北。上の石碑は、私の身長より遥かに高くて、3メートルぐらいある。下がそのそばにある案内板。 東京都荒川区熊野前にて撮影 (2017年9月16日撮…

”海軍の乃木さん”のような人  (第140回)

昭和期の帝国海軍において、そう呼ばれた軍人がいる。いま私は戦死した伯父の戦争について、あれこれ調べ事をしているのだが、ミッドウェー海戦で空母「蒼龍」の艦長を務め、爆発炎上した船と共に海に沈んだ柳本柳作大佐がその人。乃木さんが、後世の日本軍…

剣山  (第139回)

生け花の小道具の話題ではございません。遼東半島にある山の名前。日露戦争の古戦場です。乃木さんの第三軍は緒戦好調で歪頭山を落し、次にその内陸側にある剣山に向かいました。この山の名前の読み方が気になる。 「坂の上の雲」文庫本第四巻には、「つるぎ…

緒戦  (第138回)

南山の奥と旅順の乃木の軍に、多大な犠牲を強いることになった人物を代表で一人挙げるとしたら、コンドラチェンコ少将だろう。旅順はもちろん、南山の要塞を強化したのも彼だ。「坂の上の雲」に出てくる。文庫本第三巻の「陸軍」。 ロシア軍は旅順港が日本海…

静岡駅  (第137回)

乃木希典中将が、新たに編成される第三軍の司令官に任命されたのは、日露開戦三か月後の1905年5月のことだから、やはり戦争の成り行きを見定めての新編成だったはずだ。後述するが、奥康鞏大将の第二軍から一部の隊を引き抜いていることからしても、当初計画…

那須野  (第136回)

乃木さんは日清戦争に出征した。第一師団の旅団長として金州や旅順で戦っている。いずれも後に辛い地名になる。「坂の上の雲」には、ほとんどこの時期のことは出てこない。途中から第二師団の師団長になっているし、中将になっているし、活躍したはずだが。 …

教育者  (第135回)

乃木さんは教育者になればよかったのにと思う。司馬遼太郎風に言えば、乃木の人生はそれ自体が劇であり、本人が脚本を書き、本人が主役を演ずる。周囲は助演者であり、その最たるものが妻お七ということになるだろう。二人の息子の死も、詩的、劇的になった…

連隊旗  (第134回)

乃木さんの遺書には、「殉死」にも出てくるとおり、「その罪、軽からず」という一節があり、その続きに、罪とは「明治十年之役」で軍旗を失ったことだとある。私が子供のころは、まだ西南戦争や関ケ原の合戦は、それぞれ西南の役、関ヶ原の役と呼ばれており…

江戸っ子  (第133回)

乃木さんが八百屋お七のような下世話な噺を知っていたのは、単に江戸の生まれ育ちだったからかもしれない。「殉死」によれば、誕生から十歳まで長州の支藩「長府藩」の上屋敷で暮らした。 私は学生時代に山口の萩にゆき、再建された松下村塾などを、地元の同…

八百屋お七  (第132回)

司馬遼太郎は乃木希典を様々な表現で描写する。司馬文学における乃木さんとは、例えば「自分の精神の演者」であるとか、「精神美の追求」とか「傾斜」とかいった形容が付く。 乃木さんにとって、自分は自分の人生という劇の役者であり、それを自分で演出する…

乃木さん  (第131回)

小説「坂の上の雲」の感想文という形で、乃木希典大将を扱うのは難しい。乃木さんには、毀誉褒貶の歴史がある。「あとがき」から始めよう。文庫本第八巻に収められている「あとがき 四」の冒頭部分。「まず旅順のくだりを書くにあたって、多少、乃木神話の存…

こころ  (第130回)

夏目漱石は、正岡子規の親友であったにもかかわらず、「坂の上の雲」にはあまり登場しない。ロンドン時代に子規とやり取りした手紙を読むと、このプライドの固まりのような青年二人が、弱みを見せ得る数少ない相手同士であったことがよくわかる。それに、漱…

三四郎  (第129回)

漱石の「吾輩は猫である」が世に出たのは、1905年とのことなので、つまり日露戦争が終わる年だ。子規はもういない。漱石と子規という自尊心の固まりのような二人は、お互い心を許し合う友人となったが、片方は間もなく寝たきりになり、もう片方は転勤に留学…

秉公  (第128回)

なぜ虚子は「清サン」なのに、碧梧桐は「秉公」なのだろうか。秉公がずっと歳若ならばまだしも、碧梧桐は虚子より、一歳だけだが年上なのだ。しかも、子規とは幼馴染というほど小さいころからの付き合いだったのでもなさそうだし。 さらに言えば、碧梧桐の父…