正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

第二回旅順行  (第164回)

我が家のAI「アレクサ」によると、司馬遼太郎は「日本の小説家、ノンフィクション・ライター、評論家」だそうだ。上手くまとめたな。「坂の上の雲」は、「あとがき 一」で作者自身が、小説と呼んでいる。確かに、松山や大学が舞台になっている最初のうちは、…

伝令の死  (第163回)

前回引用したスタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人」には、なかなか他の資料ではお目に係れそうもない、乃木将軍の日々の言動や表情などが記録されている。部下である日本の軍人が、そういう軍司令官の姿を書き残すのは難しいだろう。 ウォシュバンに…

旭川の雪  (第162回)

第二回総攻撃の損害は、日本軍が戦死者1,912名、戦傷者2,728名、ロシア軍が戦死者616名、戦傷者3,837名。兵も物資も、全く補給がない旅順ロシア軍は、「深刻な状況に追い込まれており、司令部内では真剣に講和も検討されていた」。以上、平塚柾緒「旅順攻囲…

志賀先生  (第161回)

以前も引用した覚えがあるが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」のテーマについて、文庫本第六巻「黒溝台」の章で次のように書いている。 この稿は戦闘描写をするのが目的ではなく、新興国家時代の日本人のある種の能力もしくはある種の精神の状態について、そぞろ…

作戦変更  (第160回)

前回の続きです。以下は、「坂の上の雲」の「二〇三高地」の章および平塚柾緒「旅順攻囲戦」を参考に、時系列で、この慌ただしい1904年11月下旬の動きをみる。ちなみに、北の戦場では10月下旬に沙河の会戦が終わり、翌年1月に黒溝台の戦闘が始まる時期にあた…

白襷隊  (第159回)

旅順の話題に戻る。ロシアの旅順要塞が落ちたのは正月だった。今から113年前。ずいぶん昔のことのように感じる。一方で、今年は政府が騒いでいるように、大政奉還150周年の年にあたり、また、先述のように「坂の上の雲」の企画は、明治百周年を記念してのも…

謹賀新年  (第158回)

明けましておめでとうございます。右は元旦に遠くから撮影したアオサギの写真です。 本年は明治150年ではなく、平成30年ですので、どうぞお間違いなく。前にも書いたかもしれないが、明治時代は、大学の経済学部のゼミで習ったことによると、計算の仕方によ…