正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

築地(2の1)  (第202回)

今回と次回は、江田島に移転する前に東京の築地にあった海軍兵学校の跡や、その周辺の町並みなどを紹介いたします。歩いた順に訪問先を書いてゆきますので、海軍兵学校の話題は次回(2の2)に載せます。

まず近隣の地図をグーグル・マップで示します。前回の江戸時代の絵図と、さして区画が変っていません。北が上の地図ですので、以下、方位は便宜的に上下左右で記します。


この地図周辺のほぼ北側に東京駅があり、右下の青い部分が隅田川の河口近くです。私は地下鉄日比谷線を利用しました。下車したのは左上に見える「東銀座駅」です。

この駅や、地図中央にある「築地本願寺」の敷地横を走る大通りは、「晴海通」といいます。江戸時代になかった橋が隅田川を渡っていますが、これが「勝鬨橋」です。


昭和になって架かった橋ですから、広瀬や真之の在学時代にはありません。上の写真が築地本願寺。下が「勝どき橋」の築地側。

如何にも戦勝記念の名前ですが、1905年、旅順要塞陥落を祝って「勝鬨の渡し」が始まり、1940年に橋になりました。戦争関連ばかりではないか。





この晴海通の南側一帯に、豊洲に移転する前の築地市場がありました。当家は日比谷線の駅まで歩けるので、たまに早起きして、セリの片づけが終わった店で素人向けに売っていた魚を買ったり、場外で朝食を楽しんだりしていました。

現時点(2023年8月16日訪問)では、市場跡地の解体作業工事を行っています。ここに東京ドームが移転するという噂が以前あり、没になったかと思いきや、先日のうちの新聞にはまだ検討中という記事が載っていました。


地図の中央下側に「波除神社」があります。こちらは江戸時代からありますので、真之たちも見ているかもしれません。由緒はユニークです。神社のサイトでご覧ください。

www.namiyoke.or.jp


ちなみに、築地市場関東大震災のあと、日本橋の魚河岸が移転してきたことに端を発し、正式な公設の市場になったのは昭和時代です。

築地では6月に「つきじ獅子祭」が行われます。雌雄の獅子が神社に、どーんと置いてあります。雌獅子は、お歯黒がしてあります。


この一帯は、前回の絵図にもあったように、江戸時代には武家屋敷が並んでいました。明治時代の富国強兵を進めるにあたり、多くの武家屋敷が執り潰され、その地に大学や軍の施設が置かれました。以下次号です。


(おわり)


雨上がりは東京の空も綺麗です。  (2023年8月3日撮影)

























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