正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

2019-01-01から1年間の記事一覧

空たちまち開く  (第192回)

前回に引き続き、正岡子規の随筆「車上所見」の感想文です。改めて、青空文庫さんのサイトをご案内します。このうち前回は、豆腐料理「笹の雪」の横から野に出たところまででした。ちなみに、子規庵から私が歩いて、五分もかからないご近所です。 車上所見前…

車上所見  (第191回)

今回から、もう一つ、子規の随筆の感想文を掲げます。好きな文章なので丁寧に読む。最初に読んだのは、いまも所蔵している筑摩書房の「ちくま日本文学040 正岡子規」の収録作品です。もっとも、この文章の後半はすでに、何回か断続的に話題にしているのです…

音無川  (第190回)

前回に引き続き、子規の随筆「そぞろありき」の地理案内などです。この散歩の最初と最後のあたりで、彼が渡ったはずの川の名前も出てくる。音無川といいます。今は暗渠になっていて、川面は見えません。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終回で、根岸に…

そぞろありき  (第189回)

ただいま他のブログにて、先の戦争の記事を書き続けているため、戦争疲れしており、日露戦争はしばらくお休みです。先日読んでいたのは、「道の手帳 正岡子規」(河出書房出版)。この短い随筆「そぞろありき」も収録されている。漢字で「漫ろ歩き」。「すず…

子規とベースボール  (第188回)

上野の彼岸花です。毎年、判で押したようにお彼岸に咲くのだが、今年は台風のせいか、残暑が原因が、この辺りでは少し遅かった。また、赤の方が白より早く咲くように思う。 さて、正岡子規の野球好きについては多くの人がもう書いているし、野球殿堂入りまで…

二十八サンチ榴弾砲の跡地(第187回)

別件で横須賀に行く機会がありましたので、観音崎に第一号が据えてあったと「坂の上の雲」に書いてあった、二十八サンチ榴弾砲の砲台跡に寄ってまいりました。写真はいずれも、2019年9月5日の撮影です。これから、その場に行く予定の方のために、地図だけで…

子規の地球儀  (第186回)

ずっと前にも書いたような覚えがあるが、正岡子規は慶応三年の生まれで、翌年は明治元年。したがって明治の年号は、子規の年齢と共に進んでおり、例えば明治三十四年は、子規や同期の夏目漱石が満34歳になる年だから分かりやすい。随筆集「墨汁一滴」(もと…

博物  (第185回)

前回以来、ときどき子規の「仰臥漫録」を読んでいる。他の随筆集と異なり、新聞日本の記事ではなく、公表するつもりがなかったはずの日記のようなものだから、絵が描いてあったり、食い物や病状の話、果ては妹お律の悪口まで、話題を問わず書いている。漫録…

朝鮮少女の服  (第184回)

子規が住んでいた根津(今の東京都台東区)のすぐ近くに引っ越してきてから、十年余り経つ。大病と失業のあとだったから、しばらくは半病人の生活でした。どうやら五十代は生き延びそうだぞ。来年、満60歳になります。越してきたばかりのころ、近所ではしば…

久しぶりの更新  (第183回)

乃木希典の記事を長い間、ここで連載してきたのだが、終わりが全く見えないまま行き詰りました。無理して終わらせる必要などないので、少しばかり中断して休むことにした。乃木さんは、偉人なのか巨人なのか未だに良く分からないが、日本人がそれぞれ描く彼…

「殉死」について  (第182回)

すでに何回か取り上げた司馬遼太郎著「殉死」を、改めて読み返してみました。正直なところ、このブログも乃木さんという大物を一つのテーマにしたため、消化不良を起こし、なかなか更新が進まなくなった。そこで「坂の上の雲」から、いったん離れて「殉死」…

戦い済んで  (第181回)

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。はてなブログに転居して初めての記事です。昨年末は多忙と体調不良が交互に来て参りました。この程度のブログでも、それなりに勉強や体力が必要であります。 今回は久々の登板のため…