正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

市五郎  (第124回)

 何回か前に沖ノ島を話題にしたのは、単に「シン・ゴジラ」に触発されただけなのだが、翌朝のニュースにこの島が出てきたのには驚いた。ユネスコが部分的に世界遺産の登録を許可するという話題だった。部分的にというのは、地理的には三か所に分かれている宗像神社のうち、沖ノ島だけを認めるというものだ。

 これに対し、地元や関係者からは、それなら申請は取り下げるという声も出たらしい。現状を知らないが、私もその意見を支持します。三姉妹、全部併せてひとつの信仰だ。それにギザのピラミッドが一つだけ選ばれたら、エジプト人も断るだろう。

 女神を怒らすと、どれほど怖いか、日本人やギリシャ人は言い伝えにより、よく知っている。一神教の連中は、この程度のことすら分からない。そんな機関のお墨付きなど要らん。


 さて、文庫本第八巻の「沖ノ島」では、日本側の巡洋艦駆逐艦による哨戒やちょっかいで、艦隊行動が乱れ、ロジェストウェンスキー提督が、自分の発案なのに「馬鹿艦長どもが」と怒鳴った後で、沖ノ島が登場する。両軍が合戦地点に想定している海域だった。

 この時期、日本がロシア艦隊を見張るために配置したのは、海上の軍艦だけではなく、全国の島や岬など陸地にも望楼を設置し、昼夜、望遠鏡で監視態勢に入っていた。その数は二百以上と吉村昭「海の史劇」にある。その部分を少し引用する。

 これらの島々には無人島が多く、海上が荒れた場合には小舟が近づけず、食糧、飲用水の補給も断たれる。病者も収容できず、そのため餓死者や病死者が続出したが、望楼員は多くの島々にしがみついてロシア艦隊の発見につとめていた。


 すさまじい。日本人って、ときどきこういうことをやるのだよな。幸い、このころ沖ノ島は古来から神の島ゆえ、無人島ではなかった。女人禁制で立ち入りそのものが厳しいが、住民は二人もいて、一人が内陸の宗像神社から派遣されている主典の宗像茂丸様。祭祀ご担当。

 もう一人は雑役の少年で、神社の職階でいう「使夫」。二人で神に仕える。当時の使夫は、満18歳の佐藤市五郎。この市五郎氏が、長命して司馬遼太郎の取材に応じている。これも貴重な証言記録だ。


 しかも当時の社務所の日記まで残している。本日から数えてちょうど112年前の1905年5月27日の天気は、「西風強・曇・天霧霞」、市五郎翁の記憶では、海がひどいシケで、対馬イカ釣り船が沖ノ島に漂着する騒ぎが起きた。

 5月あたりは対馬近海でイカ釣り漁の季節だったらしい。他の資料にも出てくる。この数日後、戦闘が終わり、駆逐艦隊には念のため残敵掃討の命令が出た。今さら敵などいないので、鈴木貫太郎の艦はイカ釣りをして暇をつぶし、さいわい大漁だったので、上村司令長官にも差し入れた。


 沖ノ島には海軍の軍人が五名駐在していたらしい。なんといっても最有力候補の通り道だし、常陸丸の事故があってから海底電線も敷いたため通信係も複数いる。市五郎は、イカ釣りの猟師を救うための電信を海軍に頼もうとした。

 日ごろこの少年を可愛がっていた一等兵曹の名は、笠置竜馬という何となく目出度い名前だった。市五郎は、「海の中からうまれたように泳ぎがうまかった」というから海軍好みだ。生まれは筑前大島と書いてあるから、宗像三姉妹の次女を祀っているところだ。

 笠置さんは困った顔で、「市五郎よ、今日は民間の電信はやれないんだ」という。証拠品の受電を見せてもらった。「敵の艦隊、対馬東水道を通過するもののごとし。警戒を要す」。


 市五郎にとって主典の「宗像先生」は、この世で一番偉い人であった。叫び声を上げながら社務所にかけこみ、この一大事を告げたのだが、先生は俗世の些事に関心がうすく、昼食後の茶碗にお茶をいれて超然とすすっている。

 だが、海軍から社務所に電話があり、バルチック艦隊が来たと伝えただけで切れた。こうなると、日本の艦隊の海上交通を神に祈るのが、主典の務めであろう。みるみる血相が変わり、「市五郎、来い」と宗像先生は言った。

 そのまま褌一丁になり、海に飛び込んで潔斎したというから、このお方を措いて世に聖職者というものはおるまい。先生が社殿に駆け上がっていったとき、市五郎は西南の方向に、濛気がぴかりと光ったのを見た。そのあと、身のすくむような砲声が聞こえた。


 市五郎翁は「これが、この大海戦のはじめての砲声でした」と確信をもって語る。誰が反論できよう。戦艦アリョールが出羽艦隊に放った第一砲か。そのあと、砲声がひっきりなしに続く。

 祝詞をあげる宗像先生のうしろに座った市五郎は、「身がしきりにふるえ、むやみに涙がこぼれてどうにもならなかった」。この日、連合艦隊に降り注いだ天祐の幾割かは、沖ノ島の祈りが通じたものに違いない。





(おわり)





天草のイカ釣り船
(2012年2月27日撮影)






































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