正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

一休みして子規のお祭り  (第174回)

 乃木さんの話題ばかり続けてきたので、ちょっと一休みして、子規の「墨汁一滴」などから、根岸の祭りの話題を拾う。同書は子規が死去する前年(明治三十四年、1901年)に連載されたもので、その1月から7月まで続けた。高熱の上に、夏は暑くて、書くのがつらかったのはないか。

 翌年の9月に亡くなっている。夏で力尽きたような印象がある。文中にも、体温が下がると心身が落ち着くというようなことが、何回か書かれている。段々と気温が上がって来る季節が疎ましいのか、「墨汁一滴」の5月15日の稿は、「五月はいやな月なり」と始まっている。「五月心地になって不快に堪えず」とも書いている。今の五月病とは違うようで、頭が働かなくなるらしい。


 次の5月16日の記事に、「今日は朝から太鼓がドンドンと鳴って居る。根岸のお祭りなんである。」と書いている。子規の俳句や短歌にときどき出てくる根岸の鎮守の神様は、元三島神社という。いまのJR山手線・鶯谷駅のそば。拙宅からも歩いていけるが、ぎりぎりの境界線の向うとこっちで、我が家の鎮守様ではない。これが現代の本物の太鼓。




 その年の5月は雨が多かったようだ。子規も雨が降るたびに記録に残しているような感じで(なんせ病床一尺では大事件だ)、天気予報が当たらんなどと怒っている。私がこれを書いている今日(2018年5月13日)も、昼ごろから根岸や拙宅の周辺では雨が降っている。そして、朝から太鼓の音がドンドンと鳴って居る。昨日今日と元三島神社例大祭なのだ。




 かくのごとく、神輿担ぎの人たちにとって、雨も何もない。先ほど近くを通り過ぎていきました。なお、子規は少し前の記事に、「三島神社祭礼の費用取りに来る。一匹やる。」と書いた。

 この「一匹」というのはなじみがないが、辞書によればかつて、「十文」と同じ意味の貨幣単位であった由。穴のあいた寛永通宝に四文銭というのもあり、銭形平次が投げていた。この寄付願いは、昨日も近所でやっていました。


 翌年の明治三十五年(1902年)になると、当日の子規は体調が益々悪く、朝は「このままに眠ったら絶筆である」などと悲観していたが、午後に回復し、今日は根岸の祭礼日だと豆腐を肴に祝いの杯を挙げている。

 その中身は、葡萄酒だった。子規はワインが好きだったな。人生最後になった祭礼の日も、「毎年の例によって雨が降り出した」らしい。蚊が湧いて、窓には家守の季節が来る。


 氏祭これより根岸蚊の多き  子規



(おわり)






この季節、近所はバラが多く咲く 
子規は、薔薇も好きだった
(2018年5月撮影)



























.