2015-01-01から1年間の記事一覧
司馬遼太郎に対する批判の一つに、引用元や参考文献の記載がないという文句をときどき見かける。確かに「坂の上の雲」でも、ごくまれに本文中に参考図書の名が出てくることがある程度である。作者が読んだ本の名を書き残しておいてくれたら、この感想文もも…
明治天皇は和歌の達人であられたらしい。私は和歌も俳句も不得手で、子規の著作も随筆ばかり読んでいる。ところで、半藤一利氏に「御製でたどる明治天皇の日露戦争」という短いが読み応えのあるエッセイがある。 いつか引用した「おのづから仇のこころもなび…
以前に小欄で「雨の坂」を話題にしたとき、秋山真之が根岸の子規庵から、亡き友が眠る田端の大龍寺まで、どの道を辿っただろうかという勝手な想像をした。そのときの候補の一つが、上野の双ヶ岡から道灌山を抜けて稜線を進む道である。その高台は山手線や京…
あともう少し、今東光による山縣礼賛にお付き合いください。「毒舌日本史」の門下生有朋の逸話のすぐあとに、今和尚はこう書いている。「何しろ明治十年の西南戦争のときの陸軍では大将がたった西郷隆盛一人。中将がこの山縣有朋と篠原国幹。少将が桐野利秋…