二十八サンチ榴弾砲の跡地(第187回)
別件で横須賀に行く機会がありましたので、観音崎に第一号が据えてあったと「坂の上の雲」に書いてあった、二十八サンチ榴弾砲の砲台跡に寄ってまいりました。写真はいずれも、2019年9月5日の撮影です。
これから、その場に行く予定の方のために、地図だけでは少しわかりづらいかもしれません。灯台の南側に丘を東西に越えてゆくような整備された遊歩道があり、そこに古くで短いトンネルの入り口がありますので、それを海のほうに向けて抜けたところにあります。
これは三番砲台の跡地です。一番と二番もあるそうですが、時間もないし位置も不詳でしたので、今回はここだけにしました。古いレンガの壁に囲まれた小さな円形のお台場です。この横から海のほうに抜ける道があり、広くて明るい景色です。
東京湾のはるか向こう側に、房総半島が見える。この観音崎の右手(西側)に、ペリーの黒船が押し掛けてきた浦賀があります。帰路はこの浦賀の駅から東京に戻りました。
戻るとき、行きは順調だった京急電鉄が、事故で上下とも不通になっていて、見知らぬ土地で歩いたり乗り継いだり、さらに遅れて都心の帰宅ラッシュに巻き込まれて往生しました。しかし、あんな大事故とは思わなかった。
全国ネットのニュースでもやっていたかもしれませんが、神奈川県内の踏切にトラックが入った途端に電車が衝突し、脱線しました。この列車は確かめてみたら、各駅停車を除くと、私が乗った電車の次でした。お怪我さなった皆さん、どうぞお大事に。運転手さんのご冥福をお祈りします。
上の写真は、そんなことが起きているとも知らず、昼ごろ到着した横須賀駅の前で撮影したものです。左に海上自衛隊の護衛艦「いずも」の前半分が見えます。中央の横に長い灰色の筒は、戦艦「陸奥」の主砲、口径41センチ。
観音崎には、今もあるかどうか知りませんが、28サンチ榴弾砲のレプリカが置かれたと聞きました。しかし先に41センチを見てしまったので、レプリカ探しは止めておきました。写真のとおり炎天下でしたし。
黒船の衝撃は本当に大きかったようです。横須賀には海自の施設があるし、向こう岸の館山には空自、木更津には陸自もある。もとは軍隊の基地だったのでしょう。東京は守られておりますが、見方をかえれば、一番危ないということです。自分の無事も祈ろう。
(おわり)
観音埼灯台 (2019年9月5日撮影)
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