正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

沖ノ島  (第114回)

 子供のころから、宗教心もないのになぜか神話が好きで、ギリシャ神話や北欧神話や聖書物語は、いまでも愛読書だ。今日の話題は蔵書「現代語訳 古事記福永武彦訳(河出文庫)から拾います。

 最近これを引っ張り出したのは、映画「シン・ゴジラ」に出てくる「ヤシオリ作戦」が、監督・脚本の庵野さんによると、古事記に出てくる「八塩折之酒」から採ったものだと聞いたからだ。ちなみに、旧仮名遣いでは「ヤシホヲリ」で、本書の訳では「絞りに絞り、醸しに醸した強い酒」とある。


 これをヤマタノオロチに飲まして、スサノオノミコトが征伐するのだが、そもそもスサノオノミコトがなぜ地上でウロウロしているのかというと、父と姉に高天原を追い出されたのだ。

 父上のイザナギ神を怒らせたのは、ヒゲの生える歳になっても亡き母が恋しいと駄々をこねたからで、姉君の天照大神を激怒させたのは、彼の来訪の真意を疑い、「うけい」(禊払いの儀式)で占ったところ、弟は自己評価で「勝った」とし、喜びの余り大暴れして死者が出る人身事故を起こしたためだ。


 この「うけい」であるが、吐息で神を産む競争という、私には理解不能の勝負で、スサノオノミコトは自分の持ち物を使って娘を三人、また、姉の持ち物を使って息子を五人、生んだ。この三人娘が「筑紫の氏族である胸形の君などが仕え祭っている三座の大神である」と古事記にある。

 上記の「胸形」にはカッコ書きで、「福岡県宗像市の宗像神社」と注がある。この神社はこの地に「宗像大社」のお名前で現存し、北九州にお住まいの皆さんはよくご存知のことと思うが(私は行ったことがない)、三柱の女神がそれぞれ別の地の社に祭られていると同神社のウェブ・サイトにも書いてある。まさか引用しても罰は当たるまい。


 宗像大社天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神のお名前は田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申します。


 念のため場所について補足申し上げますと、三女が内陸、次女が大島、長女が今日のタイトルの沖ノ島におみえになる。さらに、宗像神社は「またのお名前を「道主貴(みちぬしのむち)」と仰り、交通安全の神様でもある。有史以前から江戸時代まで、この国の主要交通機関といえば船だ。

 福岡とくれば、中国大陸や朝鮮半島との間の海上交通の玄関です。さらに、この南北の交通に加え、もしかしたら東西の交通もあったかもしれない。西に対馬列島、東に本州の西端があり、つまり対馬と山口の真ん中に位置する。下関の海峡にも近い。


 ロジェストウェンスキーの艦隊は、あろうことか神話的にいうと、この海上交通のお守りをなさる歴史の古い神々がまします海域に、土足で踏み込んできた。事情が事情とはいえ、神意に触れても仕方あるまい。

 「坂の上の雲」文庫本第八巻に、この島の名をとって「沖ノ島」という章がある。お読みになっている方は先刻ご承知のとおり、この島に宮司と雑役の少年がいて、バルチック艦隊を目撃した。それどころか、第八巻の巻末地図にもあるように、この近辺が主戦場の「第一会戦海域」になった。


 ごく大雑把にいうと、連合艦隊はその主力が沖ノ島の北方海上で敵艦隊を待ち受け、前衛隊が島の西方で哨戒・索敵に当たっていた。この海戦に参加した海軍軍人の話には、この沖ノ島の名前や、濛気(もうもうと立ち込める霧やモヤ)という言葉が頻繁に出てくる。

 1905年5月27日の日本海海戦場は、五月晴れではなかった。ただし、波が凄かったことは確かで、例えば水雷戦隊が避難している。なお、翌28日は快晴だったという証言があるので、真之が見た天気予報は、一日くらい遅れたらしい。これは追撃に幸いしている。






(おわり)






成田空港からテニアン島に行く途中、飛行機から撮った島の写真。名前が分からない。小笠原諸島マリアナ諸島の一つであるはず。火山島のように見えます(2017年1月11日撮影)










































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