正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

久しぶりの更新  (第183回)

乃木希典の記事を長い間、ここで連載してきたのだが、終わりが全く見えないまま行き詰りました。無理して終わらせる必要などないので、少しばかり中断して休むことにした。乃木さんは、偉人なのか巨人なのか未だに良く分からないが、日本人がそれぞれ描く彼の像に託しているものを重く担っているのは、間違いないように思えてきた。

それは民族論、宗教論、政治・軍事史のようなレベルのもので、一個人がそうやすやすと論じ得るものではないことだけは、学びました。きっと時代と共に変わりゆく。

いま、Wikipediaを筆頭に、司馬遼太郎や「坂の上の雲」に罵詈雑言を吐いているネット右翼とやらは、司馬さんが相手にしていた「乃木信者」ではない。彼らは勝手に名付けた「司馬史観」が気に入らなくて、その材料に乃木さんを持ち上げているに過ぎない。中には一所懸命、伊地知参謀を持ち上げている者までおる。


小説「坂の上の雲」は、単に元気があった明治時代を部隊とした青春群像の娯楽小説ではない。別の一面として、先の戦争を招いた国家の指導者やそれを支持・支援した日本人に対する痛切な非難の書になっている。実際、具体的に昭和前期の軍国主義に対する痛罵の言葉も出てくるし、地名でいえばノモンハンも登場する

新聞連載当時の読者は、これらが娯楽作品に出てきても違和感を持たない時代の共有者だった。私の祖父母や両親の世代や、同年代の親戚ご近所にあたる。彼らのうち、成人男子は選挙権を持っていたから、全くの被害者といえるのかどうか考える余地はあるが、それにしても失ったものの大きさと比べれば問題にならない。それは靖国神社に祀られている若者の生命だけではない。

いま、その時代感覚は世代交代とともに薄れた。ある種の「思想的狂人」(これは大津事件の巡査に対し、司馬遼太郎が使っていた表現)にとり、司馬作品とその愛読者は、気に障る存在でしかない。

何も学ぼうとしないし、寄り集まって感情的になり、憂さ晴らししているだけだ。こういう連中が、上海で勝った、南京が落ちたといって、ちょうちん行列を主催しているうちに、おかしくなった。うちの先祖も行列に加わったかなあ。反作用は大きかった。


政治の話題は別の憲法のブログで扱っているので、このくらいにしておきます。こちらは表題のとおり、最初のうちは文学の感想文だったのだ。いつのまにやら戦争論みたいになってしまった。

すこし時間がかかりそうだが、もう一回、子規を読み直して彼に触れたい。あまりに嫌な事件や嫌な言説に日常的に接し過ぎて、わたくしも荒れました。そういうとき、私は子規に戻ることができる。そういう創作者がいるというのは、生きていようと死んでいようと作品があるので助かる。助けてもらおう。



(おわり)



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六月を綺麗な風の吹くことよ  子規
(2019年6月16日撮影、根岸の立葵


























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