正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

柳樹房  (第167回)

 この日、1904年の12月1日は、くりかえすと児玉や田中の一行は忙しい。第三軍司令部にとっては、災厄に近い日になる。文庫本第五巻の章「二〇三高地」によると、汽車は柳樹房の近くに停まった。ただし、駅がなく、係員が踏み台を置いた。児玉たちが着いたのは、ちょうど正午のころだったらしい。

 柳樹房の地名は何度も出てくるように、このころの乃木第三軍が司令部を置いていた場所だ。「坂の上の雲」には、現場から遠すぎると度々、書かれている。このため司馬の批判者は、遠くないと主張することになる。

 
 当時の砲弾がどれくらい飛ぶのかも知らない私には、判定の仕様がない。仮に知ったとて、ロシア側の発砲数やら射的の腕前やら、地形やら気象やら、その位置の作戦上の適否やら、他の要素は今の誰にも断定できないはずなのに。

 司馬遼太郎が言いたいのは、単に距離のことではなく、戦場が見えない場所にいるうえに、見に行かない参謀たちを非難しているのだ。その調子で作戦を練って、現場の将兵を死なせ続けているのが許せないと言っているのだから、柳樹房肯定者は、この論点を反駁しないと私には説得力がない。

 
 間の悪いことに、伊地知参謀長は柳樹房の指令室で、神経痛のため安静中であったらしい。立ち姿勢さえ取れなかったとあるから、本当に悪かったのだろうし、このころの乃木・伊地知の衰弱ぶりが激しかったことは、「坂の上の雲」にも大本営からの出張者の報告などに出てくる。そうだろう、毎日、戦死者名簿が届くのだ。

 あまりに司馬遼太郎が厳しいから、私も何とか伊地知参謀長の活躍ぶりを調べ上げたくなって、このころ彼が出した電文の写しなどを読んでみた。旅順港内に密偵を放って、艦隊の座礁の状況を調べたり、海軍の陸戦重砲隊と連絡を取り合ったりしている。でも神経痛をおしてまで、戦場に視察・督戦のため出たというような記録はまだ見つけていない。


 ちなみに、文庫本第五巻は巻末の地図中に、これまでも何度か見てきた「旅順要塞図」がある。たしかに柳樹房は、大連から旅順に向かう鉄道の沿線にある。東鶏冠山ら旅順要塞の要所からみると、平面図の単純距離では、高崎山より遠い。

 このあと乃木さんが、児玉を連れて行くにあたり、歩兵の前線は危ないと語り、高崎山に登っていること、また、この山周辺に第一師団と第七師団の司令部があることから、それよりも遠いということは、確かに安全なのだろうが、二〇三高地が見えそうな位置かというと難しそうだ。


 児玉源太郎は伊地知幸介を激しく罵倒している。「幾つかの熟語に要約すれば、無能、卑怯、臆病、頑固、鈍感、無策といったふうの、軍人としてその一語でも聞けば愧じて自殺しかねまじいほどのもの」を浴びせた。これはこの後も、他の参謀たちに向けて続く。児玉の遺書が想定している敵は、ロシア軍だけではなかったかもしれない。

 さらに間合いの悪いことに、司令部は司令官の行く先を明確に知らなかったから、児玉のお怒りに拍車をかけた。だが、二人だけで話し合いたかった児玉とすれば、また、さらに二人だけで話すことさえ知られたくなかったはずの彼とすれば、むしろ幸いだったかもしれない。


 乃木さんの日記の一節が収録されている。「朝、土城子ニテ児玉ヲ待ツ。不来」。乃木さんは多分、児玉が夜行列車で来ることを知っていて、午前中は地図にもある柳樹房北方の土城子で待っていたらしい。しかし、児玉は大連で暴れ、柳樹房で騒いだため遅れた。

 このあと「豊島ニ登ル」とある。豊島とは山の名前ではなく、砲術担当の参謀、豊島陽蔵が指揮をとる攻城砲兵陣地があるところで、その人が居る所に登ることを詩人はこう書くらしい。先の10月1日、乃木、児玉、豊島、志賀らは、この地で二十八サンチ榴弾砲の試射を一緒に見ているから、待ち合わせ場所には良い。迎えに行くため外に出た。


 「正直なところ、今の乃木にとって、児玉の来訪は喜ばしいことではなかった」と書いてある。「確かに占領した」と車中の児玉に電報まで打った二〇三高地は、翌日、ロシアに奪い返されている。

 第七師団も榴弾砲も、追加で送ってもらい、二か月程前には児玉も督戦に来ている。それが、いま何の進展もないまま、兵力と砲弾は激減しつつある。さらに、大山の叱責の電報が届いているはずだ。この状況で、あの男が来たらと気が重くなるのもむべなるかなだ。さらに、あいにく外は細かい雪が降り出した。

 それにしても、本当に伊地知参謀長が機能不全ならば、誰か代役を命ずるなり、自分でやるなり決めるのが乃木さんの責任であることは間違いあるまい。彼はそれができない人であった。きっと心の片隅で、いいところに来てくれたと思ったのではあるまいか。このあとの展開(というか彼の沈黙)からして、そう思います。



(つづく)





冬の東京駅  (2018年1月18日撮影)







































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