正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

相手は山  (第143回)

なかなか筆が先に進まない。「坂の上の雲」の旅順戦は、極論すると、困ったことに乃木さんの出番がほとんどない。ここでいう「出番」とは、娯楽作品としての軍記に欠かせない主役の登場シーンで、古いもので例えれば鵯越とか勧進帳とか、「待ってました」の…

旅順総攻撃の数え方  (第142回)

これから旅順戦の経緯をたどるにあたり、肝心の総攻撃の回数と数え方が分からなくて混乱している。「坂の上の雲」は、文庫本第四巻にある「旅順」の章に、第一回は1904年8月19日開始と記されている。これは他の資料も変わらない。 また、旅順要塞を陥落させ…

一休み  (第141回)

これから旅順総攻撃が始まるので、その前に一息入れたくなった。写真はうちから電車ですぐの隅田川に近い都の東北。上の石碑は、私の身長より遥かに高くて、3メートルぐらいある。下がそのそばにある案内板。 東京都荒川区熊野前にて撮影 (2017年9月16日撮…

”海軍の乃木さん”のような人  (第140回)

昭和期の帝国海軍において、そう呼ばれた軍人がいる。いま私は戦死した伯父の戦争について、あれこれ調べ事をしているのだが、ミッドウェー海戦で空母「蒼龍」の艦長を務め、爆発炎上した船と共に海に沈んだ柳本柳作大佐がその人。乃木さんが、後世の日本軍…

剣山  (第139回)

生け花の小道具の話題ではございません。遼東半島にある山の名前。日露戦争の古戦場です。乃木さんの第三軍は緒戦好調で歪頭山を落し、次にその内陸側にある剣山に向かいました。この山の名前の読み方が気になる。 「坂の上の雲」文庫本第四巻には、「つるぎ…

緒戦  (第138回)

南山の奥と旅順の乃木の軍に、多大な犠牲を強いることになった人物を代表で一人挙げるとしたら、コンドラチェンコ少将だろう。旅順はもちろん、南山の要塞を強化したのも彼だ。「坂の上の雲」に出てくる。文庫本第三巻の「陸軍」。 ロシア軍は旅順港が日本海…

静岡駅  (第137回)

乃木希典中将が、新たに編成される第三軍の司令官に任命されたのは、日露開戦三か月後の1905年5月のことだから、やはり戦争の成り行きを見定めての新編成だったはずだ。後述するが、奥康鞏大将の第二軍から一部の隊を引き抜いていることからしても、当初計画…

那須野  (第136回)

乃木さんは日清戦争に出征した。第一師団の旅団長として金州や旅順で戦っている。いずれも後に辛い地名になる。「坂の上の雲」には、ほとんどこの時期のことは出てこない。途中から第二師団の師団長になっているし、中将になっているし、活躍したはずだが。 …

教育者  (第135回)

乃木さんは教育者になればよかったのにと思う。司馬遼太郎風に言えば、乃木の人生はそれ自体が劇であり、本人が脚本を書き、本人が主役を演ずる。周囲は助演者であり、その最たるものが妻お七ということになるだろう。二人の息子の死も、詩的、劇的になった…

連隊旗  (第134回)

乃木さんの遺書には、「殉死」にも出てくるとおり、「その罪、軽からず」という一節があり、その続きに、罪とは「明治十年之役」で軍旗を失ったことだとある。私が子供のころは、まだ西南戦争や関ケ原の合戦は、それぞれ西南の役、関ヶ原の役と呼ばれており…

江戸っ子  (第133回)

乃木さんが八百屋お七のような下世話な噺を知っていたのは、単に江戸の生まれ育ちだったからかもしれない。「殉死」によれば、誕生から十歳まで長州の支藩「長府藩」の上屋敷で暮らした。 私は学生時代に山口の萩にゆき、再建された松下村塾などを、地元の同…

八百屋お七  (第132回)

司馬遼太郎は乃木希典を様々な表現で描写する。司馬文学における乃木さんとは、例えば「自分の精神の演者」であるとか、「精神美の追求」とか「傾斜」とかいった形容が付く。 乃木さんにとって、自分は自分の人生という劇の役者であり、それを自分で演出する…

乃木さん  (第131回)

小説「坂の上の雲」の感想文という形で、乃木希典大将を扱うのは難しい。乃木さんには、毀誉褒貶の歴史がある。「あとがき」から始めよう。文庫本第八巻に収められている「あとがき 四」の冒頭部分。「まず旅順のくだりを書くにあたって、多少、乃木神話の存…

こころ  (第130回)

夏目漱石は、正岡子規の親友であったにもかかわらず、「坂の上の雲」にはあまり登場しない。ロンドン時代に子規とやり取りした手紙を読むと、このプライドの固まりのような青年二人が、弱みを見せ得る数少ない相手同士であったことがよくわかる。それに、漱…

三四郎  (第129回)

漱石の「吾輩は猫である」が世に出たのは、1905年とのことなので、つまり日露戦争が終わる年だ。子規はもういない。漱石と子規という自尊心の固まりのような二人は、お互い心を許し合う友人となったが、片方は間もなく寝たきりになり、もう片方は転勤に留学…

秉公  (第128回)

なぜ虚子は「清サン」なのに、碧梧桐は「秉公」なのだろうか。秉公がずっと歳若ならばまだしも、碧梧桐は虚子より、一歳だけだが年上なのだ。しかも、子規とは幼馴染というほど小さいころからの付き合いだったのでもなさそうだし。 さらに言えば、碧梧桐の父…

三尾の紅葉  (第127回)

これを書いているのは、もうすぐ梅雨入りの季節ですが、紅葉の話題も、成り行き上しかたがない。文庫本「坂の上の雲」第二巻の「日清戦争」という章に、正岡子規の引越しの話題が出てくる。転居のきっかけは就職だった。新聞日本に入ることができた。 芭蕉破…

六月の風  (第126回)

須磨 六月を綺麗な風の吹くことよ 子規 私の好きな句だ。これを知ってから、自然と毎年、綺麗な風の吹く季節が訪れるようになった。明治二十八年の作である。1895年。この年は、子規にとって事の多かった一年だった。4月、日清戦争に従軍。 大連湾に行く海上…

かゆうていかん  (第125回)

戦闘の話ばかり続けたので消耗してきた。我ながら、もろい。方向転換して、子規やその周辺の人たちの話題に入ろう。明治38年7月、すなわち日本海海戦の2か月後に、雑誌「ホトトギス」は臨時増刊号を発行している。 これに高浜虚子が寄稿した「正岡子規と秋山…

市五郎  (第124回)

何回か前に沖ノ島を話題にしたのは、単に「シン・ゴジラ」に触発されただけなのだが、翌朝のニュースにこの島が出てきたのには驚いた。ユネスコが部分的に世界遺産の登録を許可するという話題だった。部分的にというのは、地理的には三か所に分かれている宗…

駆逐隊  (第123回)

小東郷は、駆逐艦にも乗っていた。日本海海戦のときは、駆逐艦隊が第一から第五まで、また、水雷戦隊は第一から第六まで、それぞれ四隻ずつで、合計44隻であったと、第四駆逐隊長の鈴木貫太郎が分かりやすく書いている。 最近ここで鈴木だ貫太郎だと、馴れ馴…

腹が減っては  (第122回)

「例の出羽司令官」と、その第三戦隊の参謀を務めた山路一善中佐の名は、そろって文庫本第七巻「艦影」に出てくる。同章のこのあたりの記述は、もっぱらバルチック艦隊が、対馬コースか太平洋コースか、そのいずれを採るのかという論争について触れている。 …

ヘロヘロ水雷  (第121回)

前回の最後にご登場いただいた出羽重遠と瓜生外吉の両司令官は、すでにこのブログの話題になっている。前者は仁川の砲撃、後者は対馬沖の接近遭遇。少し年月も経っているので、また題材にさせていただこう。 瓜生さんが拙宅の近所に亡くなるまでお住まいだっ…

送り狼  (第120回)

日本海海戦の直前、主力である東郷さんがいる第一戦隊や上村さんの第二戦隊は、朝鮮半島方面で待機しており、一方で、文庫本第八巻「運命の海」の章に「海戦史上、片岡の第三艦隊ほど索敵部隊としての能力を高度に発揮した例はなかった。」と書いてある第三…

和泉艦長  (第119回)

司馬遼太郎「街道をゆく」は、第43巻の最後に「未完」と書かれており、すなわち絶筆だろう。手元にその文庫本があり、前にもどこかで引用した覚えがあるが、改めて私の好きな箇所を引用します。 古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀は違うとした。無謀はその…

病院船  (第118回)

バルチック艦隊随一のお騒がせ舟、「病院船アリョール」は、最初に見つかってしまった敵艦であった。「坂の上の雲」第八巻の「敵艦見ゆ」に出てくるこの「アリョール」の灯火は、後檣(後ろのマストですか)に連掲されていて、色は白赤白だった。これは映画…

哨艦列  (第117回)

前回、書き漏らした。資料の引用元の戸郄一成編「日本海海戦の証言」は、戸郄さんが編者あとがきで示しているように、「戦袍余薫懐旧録 第2輯」(大正十五年)という書籍に拠るものが多い。 国立国会図書館のサイトにある。旧仮名遣いで写真や補足もないが…

間違い  (第116回)

前回の続き。玄界灘で水雷と砲弾の攻撃を受けた佐渡丸は、悲運の僚船常陸丸が沈んだが、自らは沈没を免れて連合艦隊に復帰した。最後の大仕事が1905年の5月下旬、日本海海戦の哨戒任務。 この前衛艦隊を指揮したのは、主に第三艦隊司令長官の片岡七郎中将。…

蔚山沖  (第115回)

沖ノ島の近海が、日露戦争の戦場になったのは、日本海海戦が初めてではない。ただし、通常は当該の地名として、玄界灘が出てくる。戦闘というよりも、災害に近い。一連の海難のうち、特に常陸丸の遭難が名高い。 その名のとおり、民間商船を軍事徴用したもの…

沖ノ島  (第114回)

子供のころから、宗教心もないのになぜか神話が好きで、ギリシャ神話や北欧神話や聖書物語は、いまでも愛読書だ。今日の話題は蔵書「現代語訳 古事記」福永武彦訳(河出文庫)から拾います。 最近これを引っ張り出したのは、映画「シン・ゴジラ」に出てくる…